犯行予告
2008 / 06 / 16 ( Mon )
 秋葉原の事件以降、似たような犯行予告がネットに相次いで書き込まれているという。

 どうしてそんなにかまってほしいのか。
 どうしてそんなに注目されたいのか。
 そしてどうしてそんな方法しか選べないのか。

 対等に人と関わることがそんなに怖いのか。
 自分が傷つくかもしれないことが、
 自分が受け入れられないかもしれないことが、そんなに怖いのか。
 それを許せないほどのプライドなのか。

 顔を合わせたことのない相手とさえ、自由につながれるようになった私たちは、それで人間関係やコミュニケーションリテラシーがより発達したかというと決してそうではない。
 そもそも群れて暮らしていた人間が、一人でも生きていけるようになった。いや、実際には一人では生きていけないのだけれど、便利になりすぎた社会の中で、人間同士の接点を感じなくても生活できてしまう。こうして身近な人間関係の経験値が減る一方で、個人のアイデンティティばかりが熱心に追求され、評価される。コミュニケーション能力が育つ土壌がないのだ。そこにただ広大な土地が与えられても、荒れ果て、混乱するのは当然である。
 つまり、ハードの拡大化に、ソフトが対応できていないのだろう。当たり前だ、そもそも人間関係などというものはアナログ中のアナログで、手間も時間もかかる。もっと高度なコミュニケーションリテラシーを身につけなければ、この大きな自由を使いこなすことはできない。
 この生活スタイルの二極的な変化に、どうやって対応していけばいいのだろうか。
 そう言う意味では、これからの人間は今よりもっと生きにくくなるのかもしれない。

 けれども、こうして出会えるはずのなかった人とやりとりできる自由は、人間の夢でもあったはずで、大きな可能性を秘めている。夢は、叶えた以上、手にしてしまった以上、意味あるものにしていかなくてはならない。叶えたことを後悔するような夢にはしたくない。

 話が飛躍したけれど、秋葉原の犯人の、まだ若い小柄な姿がテレビに映されるたび、私はそんなことを思うのだ。彼もまた人間関係の狭間に生き迷った若者だったように思える。「誰でもいい」とナイフを振るう幼稚さからも、彼の成熟のアンバランスが感じられるのである。
 もっとも、そうは言っても彼も立派に成人。幼稚な刃の犠牲になった人たちのことを思うと、決して許されるものではないが。
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