シャンパン
2008 / 06 / 29 ( Sun )
 休日。
 家でたらたらとGyaoのメニューをたどっていたら、前から観たかった「ヘドウィグ アンド アングリーインチ」が入っていたので、観始める。東ドイツに生まれ、ロックシンガーを目指すゲイの男が、性転換手術の失敗で1インチだけ残ってしまう。この怒りのアングリーインチを抱え、男たちに騙されたりひどい目に遭ったりしながらも、歌を歌い続け、失われた自分のカタワレを探していく。
 いやぁ、おもしろかったな。ヘドウィグを演じるジョン・キャメロン・ミッチェルの不気味な妖艶さ、純情さ。やりきれなさをぶつけた歌の魅力。ラスト、かつらも衣装も身につけず歩く後姿がきれいだった。
 この作品は、日本でも舞台で上演されていたらしい。
 ああ、観に行きたかった。

ワイン 夜、吉祥寺で、いつも芝居を観に来てくださる旧知のお知り合いと、そのお友達、時々行く飲み屋のママと、珍しいメンツで飲み。
 写真は、1軒目のバーでいただいたペリエ・ジュエ・ベル・エポック。グラスとおそろいの花柄で、瓶からしておしゃれ。酸味のきいたシャンパンで、渇いた喉においしかった。4人でパスタやピザをもりもり食べ、ワインを2本空ける。
 2軒目は、4月にオープンしたばかりというこじんまりした和風のバーへ。もうお腹はいっぱいだったけど、生でおいしい水茄子や、カラスミ、レバーのパテがおいしくて、やっぱりお酒が進む。ワインを1本空けたあとは、日本酒。「辛口のサッパリ系で」とお願いしたところ、出てきた山形産「上機嫌」で、私も上機嫌に。ビールを飲まない飲み会って、初めてだったかも。いろいろなことをおしゃべりして楽しかったし、プライベートとはいえママの気配りはさすがで、見習うべしと心に留める。

 それにしても奥の深い吉祥寺。本当にたくさんの飲み屋があるけれど、こっそりと隠れ家系の素敵なお店が、まだまだたくさんありそうだ。
 
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パンデミック
2008 / 06 / 22 ( Sun )
 石田衣良の「ブルータワー」を読んだ。
 人類が滅亡の危機を迎えた、200年後の未来。eternal gardenの世界にも似ているが、こちらは地下施設ではなくて、高さ2キロという超高層の塔に生き残った人々が移り住む話。そして、滅亡の危機を迎えた原因は、環境問題ではなくて新種のインフルエンザウイルスによるバイオテロ。
 塔、テロといえば、やはり9.11を連想するが、作者もそのイメージを重ね合わせて、民族の格差や、繰り返される攻撃と復讐の連鎖を描き切った長編である。もちろん、悲劇だけではなく、救済を追求した作品。
 こういった、ファンタジーというか、SFの作品を読むの久しぶりだったな。昔は大好きだったんだけど。アイザック・アシモフとか、本当に異世界にトランスさせてくれる作品があって、現実のいやなことからしばしトリップできた。あ、誰でもいいから殺したい人たちも、ネットの世界でよけいぐちゃぐちゃになる前に、SFでも読んだらいいのに。

 話は横道に逸れたけど、新型インフルエンザウイルスによるパンデミックの可能性は、もはやSFの世界の話ではない。第一次世界大戦を終戦に導いたと言われるスペインかぜもインフルエンザの一種で、死者は4000〜5000万にも及んだとか。最近では、H5N1型の新型インフルエンザによるパンデミックが警戒されている。新種の誕生とワクチンの開発、まさにいたちごっこだ。

 生命体が進化を繰り返しながら、他種としのぎを削り、種の拡大をはかるのは自然の摂理だけれども、それを人工的に悪用してバイオテロに使われるようなことがあれば、いよいよ人類は滅亡するかもしれない。そんな想像が、単なるファンタジーではなくて、ひやりとした実感を持って迫ってくる。
 私たちはしょせんあと数十年のうちに死ぬけれども、将来に対して、あらゆる可能性を視野に入れて思考しなければならない。想像力の問題だ。たとえ、自分の生が平穏に過ぎたとしても、子どもたちにどんな可能性を残していくかだ。永遠の平和とか、変わらぬ愛とか、そんなものは幻想にすぎない。私たちの身のまわりの大切なものは、ちょっと手を抜けば失われていくものばかりだ。

 それにしてもインフルエンザウイルスというのは不思議なものだ。宿主なくしては自らも生きることができないのに、共存などという穏便な方法は考えずに、ひたすらに変移を続け、侵略を企てる。
 あれ?人間とそっくりかも。。。
 人間は、インフルエンザウイルスより利口であることを信じたいが。
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ジェルネイル♪
2008 / 06 / 19 ( Thu )
ジェルネイル 着付け仲間の爪がとってもかわいかったので、「すごくかわいい爪だね。お手入れ大変でしょう」と話しかけたところ、「これ、ジェルネイルなんです。ネイルサロンでやってもらうんですけど、1ヶ月ぐらいもつんで、楽ですよ♪」とのこと。

 なにぃっ!最近はそんな便利なものがあるのか。。。

 小さい頃からずっと爪を噛む癖があって、5年ぐらい前にやっと克服したものの、今でもイライラしているときは噛んでしまう。それに、そもそもまめにお手入れするなんてできないので、基本ほったらかしの私。でも、爪を噛むのは体に悪いし、ほったらかしてると傷むんだよねえ。

 そこでさっそくネイルサロンへ行ってみる。
 いっぱいいろんなデザインがあって、「どれにしますか♪」と言われたけど、仕事がらあんまり凝った爪にもできないので、シンプルなグラデーションにしてもらう。自爪に特殊なジェルを塗り重ねて分厚くするので、ツヤもよい。分厚くなったぶん爪が当たっても痛くないし、さすがに噛むのはためらわれるのでとってもいい感じ。肌をひっかいても傷つかないので、アトピーの人にも好評なんだとか。はまりそう♪

 爪とか靴とか、細部のお手入れに気を使える人って、本当におしゃれな感じがする。
 がさつな私にはなかなか気が回らないけど、いずれそういう大人の余裕を身に付けたいものだ。
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執行
2008 / 06 / 18 ( Wed )
 昨日、宮崎勉死刑囚の死刑が執行された。

 そのことで、死刑廃止派の超党派の議員たちは、「秋葉原事件直後だからって」「死刑の犯罪抑止効果が証明されてないのに」「結局、宮崎被告は反省しておらず、心の闇を解明できていない」「鳩山法相になってから執行が多すぎる」「国際社会で人権を語る資格がない」「国家による殺害行為だ」と大反論したとか。

 は???
 おかしくない???

 死刑制度には、存置派と廃止派がいる。でも、今日本には死刑制度が存在するのだ。
 だからやってるのに、人殺しみたいに言われたら法相もやってられないな。
 光市の事件のときも書いたけど、論議は、何かが起きたときにその機を利用してぎゃあぎゃあ言うんじゃなくて、何事もないときに冷静に話し合うべきなんだよ。
 私は鳩山氏以前の、執行しなかった法相の方がよほど無責任だと思う。
 誰だって死刑執行の決定をするのなんて嫌だよ。でも、仕事でしょ?
 私は、秋葉原事件直後で世論が厳罰ムードになっているときに執行したのはやむをえないと思う。摩擦や軋轢をできるだけ小さくするためには、賢明な判断だと思う。

 死刑の犯罪抑止効果が客観的にどうなのか、評価することはできないはずである。なぜなら、死刑制度の存在しない日本という比較対象がない。凶悪犯罪が減らないのだとしたら、死刑がなかったらもっと増えているのかもしれない。
 また、本人が反省していないのは、本人の問題であって、死刑執行する側の問題ではない。せめてもの理想は、犯人が心から悔い改めてくれることだろうが、それがかなわないから死刑にできないのでは本末転倒である。心の闇の解明も、それがかなえば社会にとってせめてもの利益になるだけの話であって、解明できないことが執行停止の理由にはならないだろう。少なくとも、今回の事件の場合、20年もの時間があったのだし。
 せめて議論するなら、反省を促すプログラムや、犯罪を抑止する施策を検討するとか。それをとびこえて、一気に死刑反対を主張するのが感情的なのである。

 そもそも、日本の死刑制度は犯罪抑止のために行われているのではない。
 犯罪に対して相当する刑罰なのである。
 死刑が犯罪を抑止できようと、心の闇を解明できようと、死刑そのものの存在理由にはならないと思う。犯罪に対する量刑感情は、長い歴史の中で培われたその国の国民感情なので、変容させることは容易ではない。外国が自分の国の感覚でモノを言っても、畑が違う気がする。今後の参考にはなるとしても、それで外国を批判したりすることはお互いにできないんじゃないかと思う。

 くれぐれもくり返すけど、私は死刑推進派というわけではなく、死刑制度の存続には十分な議論が必要だと思っている。でも、今回のやりとりはあまりにも理にかなっていない。この機を政治利用しようとしているのは、廃止派の方ではないのか。

 こうして議論にならない議論をしている間にも、日本にはまだ100人あまりの死刑囚がいて、税金で生活している。そして、その何倍もの被害者・被害者遺族がいる。法律である以上、たとえこの先死刑が廃止になったとしても、すでに判決の下りた死刑囚には執行するべきだと思う。

 人の侵した罪に対して、どんな刑罰を相当だと思うのか、日本人が一人一人考えなくてはならない。そして冷静に検討しなくてはならない。専門家の範疇ではない。裁判員制度も始まる今、いつでも、誰でも、あらゆる立場の当事者になりうる。

 それにしても、宮崎死刑囚は20年も拘置所にいたんだね。犯行当時25歳だったことを考えると、拘置所にいた時間が人生の半分近くを占めるわけだ。そんな人生もあるとは。。。
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犯行予告
2008 / 06 / 16 ( Mon )
 秋葉原の事件以降、似たような犯行予告がネットに相次いで書き込まれているという。

 どうしてそんなにかまってほしいのか。
 どうしてそんなに注目されたいのか。
 そしてどうしてそんな方法しか選べないのか。

 対等に人と関わることがそんなに怖いのか。
 自分が傷つくかもしれないことが、
 自分が受け入れられないかもしれないことが、そんなに怖いのか。
 それを許せないほどのプライドなのか。

 顔を合わせたことのない相手とさえ、自由につながれるようになった私たちは、それで人間関係やコミュニケーションリテラシーがより発達したかというと決してそうではない。
 そもそも群れて暮らしていた人間が、一人でも生きていけるようになった。いや、実際には一人では生きていけないのだけれど、便利になりすぎた社会の中で、人間同士の接点を感じなくても生活できてしまう。こうして身近な人間関係の経験値が減る一方で、個人のアイデンティティばかりが熱心に追求され、評価される。コミュニケーション能力が育つ土壌がないのだ。そこにただ広大な土地が与えられても、荒れ果て、混乱するのは当然である。
 つまり、ハードの拡大化に、ソフトが対応できていないのだろう。当たり前だ、そもそも人間関係などというものはアナログ中のアナログで、手間も時間もかかる。もっと高度なコミュニケーションリテラシーを身につけなければ、この大きな自由を使いこなすことはできない。
 この生活スタイルの二極的な変化に、どうやって対応していけばいいのだろうか。
 そう言う意味では、これからの人間は今よりもっと生きにくくなるのかもしれない。

 けれども、こうして出会えるはずのなかった人とやりとりできる自由は、人間の夢でもあったはずで、大きな可能性を秘めている。夢は、叶えた以上、手にしてしまった以上、意味あるものにしていかなくてはならない。叶えたことを後悔するような夢にはしたくない。

 話が飛躍したけれど、秋葉原の犯人の、まだ若い小柄な姿がテレビに映されるたび、私はそんなことを思うのだ。彼もまた人間関係の狭間に生き迷った若者だったように思える。「誰でもいい」とナイフを振るう幼稚さからも、彼の成熟のアンバランスが感じられるのである。
 もっとも、そうは言っても彼も立派に成人。幼稚な刃の犠牲になった人たちのことを思うと、決して許されるものではないが。
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全身筋肉痛
2008 / 06 / 15 ( Sun )
 土曜日、ダンスの振付にBEYONDの稽古場へ。
 考えてみれば、最近自分の公演でもダンスらしいダンスは入れていないので、振付は昨年のBEYOND公演以来。振付はもちろん、踊ること自体がおよそ一年ぶり。
 稽古場で約2時間の時間をもらい、10人のメンバーに振りを覚えてもらう。一緒に踊っているうちに、汗だくに。最後に大マヤちゃんがくれたスイカが体にしみわたって美味しかった♪
 BEYOND公演は、7月4日(金)〜6日(日)まで、中野のウエストエンドスタジオです。よかったらぜひ。

 BEYONDの稽古場を後にし、夜から殺陣の稽古で高井戸へ。
 この日は参加者が少なくて、師匠を入れても4名。マットスペシャルと、体さばきスペシャルをやる。マットはねえ・・・相変わらず上達の兆しが見られず。そのうえ、最近の稽古では高度な技が入ってきて、いつ頭から落ちて首の骨を折ってもおかしくない状態(泣)。

 そして今朝、朝ベッドから起きようとしたら全身に鈍痛が!あだだだだ。
 ひどい、ひどい筋肉痛である。階段の上り下りなど、おばあちゃんのようにスローテンポ。笑っただけで腹筋が痛いので、おちおち笑えない。部位から察するに、ダンスの稽古で日頃使わない筋肉を酷使し、殺陣の稽古でとどめを刺したらしい。あげくに今週は土日連続で殺陣の稽古だったので、文字通り死にそうであった。。。あまり疲れていると、ビールもさすがにおいしくないんだね。今日は珍しくN飲み会の途中で帰って、家でゴロゴロした。

 いやはや、私筋金入りの文系なんですけど、いつから体育会系になったんだろ;;
 でも、芝居をやっていなかったら、私の生涯運動量はせいぜい100分の1ぐらいだったんじゃないだろうか。そう考えると、多少の筋肉痛と引きかえにしても、体に対する効果はプライスレス。。。翌朝出ているだけまだマシだし・・・そうやって自分を慰めるとしよう。
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下北で飲む
2008 / 06 / 11 ( Wed )
 今日は仕事帰りに晶子さんと落ち合って、下北沢で飲んだ。
 ときどき行く、お気に入りのお店へ。
 ビルの3階にある目立たないこじんまりとしたお店なんだけど、私はこの店のアジアンなインテリアとアボカド納豆丼がお気に入り。
 でも、今日のお目当てはそれだけじゃなくて、別の下心も・・・そう、次回公演で、このお店を使わせてもらいたいのである。ここで飲むたびに、「こんなところで芝居やったら雰囲気あるよね〜」と話していた。それをただの酒飲み話でなく、実現してみたい。
 幸いにして(私にとっては)、平日の夜とあってお店は空いており、他のお客さんがいなくなったすきを見計らって、お店の人に声をかける。
 「あの、ときどきここに寄らせていただくんですが・・・」
 「おぼえています。久しぶりだねって話していたんですよ」
 おぼえてくれていたのか!・・・ま、こんなステキなお店に来て、ずっとビールばっかり飲んでる客も珍しいからね、きっと・・・。
 そして、ここでこじんまりとした芝居をやりたいという申し出にこころよく応じてくださった。やった♪

 またひとつ。やりたいことに一歩近づく。

 気球計画プロデュースvol.2は、9月13日(土)〜15日(月・祝)、下北沢のカフェ&バー Gadis にて行います。
 お酒やお料理も楽しみながら見ていただける作品にしたいと思っています。
 詳細はまた随時お知らせしていきたいと思います。
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惨事
2008 / 06 / 08 ( Sun )
 秋葉原で、また信じられない事件が起きた。

 日曜日の昼下がり、だんだんと死亡者数の増えていくニュース速報に戦慄を覚えた。

 おそらくこの事件を耳にした誰もが最初に発した一声、「どうして・・・」。

 現行犯逮捕された犯人は、静岡からレンタカーを借りて上京。最初から、車で突っ込み、あとはサバイバルナイフを振るう計画だったらしい。しかも、その経過を犯行の直前までインターネットにアップしていたとか。冷静な用意周到ぶりと、あまりにも無作為で無秩序な犯行のありさま、そのギャップにぞっとする。

 「世の中に疲れた。いやになった。」と。

 その言葉を聞いて、私がとっさに返した言葉は
 「だったらあんたが一人で死ね!」

 でも、その自分の声にまた寒くなった。
 殺された7人の命はもちろん尊い。本来なら、この犯人の命だって同じように尊いはず。
 それでも、こうしてとっさに命の重さを比べてしまうんだ。

 もし今日、私の知り合いが一人でも秋葉原にいたら、心配でいたたまれなかっただろう。もし被害者の中に知った名前を見つけたら、犯人を見る目はもっともっと違うだろう。悲しみと怒りにあぶられて、心も体も正体を失うかもしれない。一生の後遺症を背負うかもしれない。
 そして逮捕される犯人の顔を見て思った。この人が、もし自分の知り合いだったら、友達だったら、大切な人だったら、子どもだったら。私は一瞬にしてこの命を許すに違いない。どうにかしてこの人の心を理解しようと、自己顕示欲だろうと、自己実現の失敗だろうと、一部の理を探そうと血眼になるかもしれない。彼をそこまで追いつめたものを憎むかもしれない。
 そして、実際のところ被害者にも犯人にもどうやら顔見知りのいなかった私は、そのことに安心した自分をいささか後ろめたく思う。

 命は平等であるという正義が、こんなにもあっけなく崩れてしまうパラドックス。それはしかたないのだ、関係性によって人は人でありうるのだから。すべての命に対して、客観的になどなれるはずがない。当たり前で分かり切ったことなのに、私はそれがときどき恐ろしい。

 完全な客観性を持つのは、神さまの仕事だ。
 だから神さまは、すべての人間に不平等と理不尽をもたらすことができるのかもしれない。

 亡くなった方のご冥福と、被害者のみなさんの回復を心から祈ります。
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梅雨の晴れ間
2008 / 06 / 07 ( Sat )
箱ひだ太鼓 梅雨の晴れ間の休日。
 朝、ぐだぐだとまどろむ時間の幸せなこと。
 そして遅刻ギリギリに着付け教室に駆けつける。
 うん、いつもどおり。
 今日から、研究科へ。新しいメンバーも増えて新鮮。今日は、名古屋帯の変わり結びを習った。若い人向けの「箱ひだ太鼓」。ほっこりふくらんだお太鼓が、茶巾寿司みたいでかわいい♪

 家に帰って、ちょっとがんばって料理などしたら、食後に眠くなってまたたっぷり昼寝してしまった。夕方やっと起き出して、だらだらと身支度をし、殺陣メンバー安田くんの参加する「GOKAN。第12回公演 ステイル・メイト」を観に荻窪へ。

 いや〜、この芝居が!
 おもしろかった。泣きました。ベタっちゃベタなんだけど、それをきちんと見せる空気感があって、2時間の長さを感じさせない芝居だった。小劇場で、カーテン・コールをしたほうがよさそうなほど拍手の鳴り止まない芝居って、なかなかないかも。かゆいところにちゃんと手の届くセリフもあり、それを自分のものにしている役者もおり、素敵だった。演出的に、細かく「?」と思ったことはあったけど、まあそれはご愛嬌な感じで。
 公演中なので詳しいことは書けないけど、私が思ったことは、何かを解釈するのではなく、その場で思ったことをきちんと感じ、受け止め、誠実に相手に返していこう、ということだ。当たり前だけど、その姿が、やっぱり一番訴えるのだ。防御の盾をかざしたり、攻撃の矛を返すことは、プライドや恐怖心の表れだ。でも、その人がプライドや恐怖心を持つことにもやはり意味があって、表層にとらわれていては本当に有機的な関わりはもてない。・・・あ、物語とは、あまり関係ないけど、私はそんなことをあらためて感じた芝居だった。
 明日まで、荻窪メガバックスシアターでやっています。

 ぐだぐだして、いい芝居観て、家でおいしいビールを飲む。うん、幸せな一日♪
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職の適性
2008 / 06 / 06 ( Fri )
 夜、研究会の打ち合わせ。その後、仕事の先輩方と飲む。みんな大ベテランのお姉さまがただが、一杯目から冷酒を頼むような、粋な人たちばかりだ。

 話題は、職場の新人の話に。

 私の業界は今、団塊の世代の退職に伴う世代交替の時期を迎えて、どこの職場にも新人がいる状況。もちろん新人にもいろいろな人がいて、ピカピカの新卒もいるが、別の業界から転職してきた人も多い。
 どこの業界もそうだろうけど、私の業界は特に、業務内容が多岐に渡るうえ、業務内容のほとんどすべてが人間関係に派生するため、経験値がモノを言う部分も大きい。だから、年数の浅い人はいろいろと苦労もするし、精神的ストレスが大きい。本人のストレス・マネジメント能力にもよるが、置かれた環境によっては誰が病んでもおかしくない仕事だと思う。事実、経験年数を積んだ人でも、心を病む人が多くて、それが大きな課題になっているぐらいだ。新人が心を病むのと、ベテランが心を病むのとでは、また別の経緯がありそうだけれども、いずれにしても心を病む職員が多いのはよろしくない。
 
 先輩方の職場にも、やはり苦しんでいる新人がいた。
 仕事がたまる一方。でも、遅くまで残ってこなす体力はない。大した問題はないのに、小さなことを気に病んで休んでしまう。困っているのに、先輩に聞かない。
 先輩方も、そういう新人をどう扱ったものか悩んでいた。まわりがもっとフォローして、励ましてあげればいいのか、「あなたには向いてない」と言って転職を促した方がいいのか。。。でも、いずれにしてもその人の人生にかかわることだから、安易には言えない、と。

 「最近の若者は3年たたないうちに辞める」と言われ始めてしばらくたつが、うちの業界でもそれは例外ではない。でも、うちの業界は、それぞれ自分なりの夢と理想をもって就職する人が多いので、うまくいかなかったときの挫折感が他より大きいのではないか。そして、総じて真面目な人が多いので、自分がいけないのではないかとがんばりすぎたり、今さら他の仕事なんて、としがみついてしまう人もいるような気がする。もちろん、それをバネにして力をつけていく人もいるけどね。反対に、職場で自殺してしまう人もいるわけで、それは何よりも悲劇である。

 職業選択が、昔のような永久就職のイメージでなくなった今、職の適性を冷静に見定める目が必要なのだと思う。なにかひとつの仕事が、増してこのような特殊な仕事が、自分に向かなかったからと言って、大して引け目に思うことはない。これだけ細分化された社会の中で、より自分を生かせる仕事は他にもあるはずだ。ストレスにつぶされるぐらいなら、私は仕事を手放した方がいいと思うし、そういう客観性を見失いそうになったら少なくとも休んだ方がいいと思う。それは、放棄でも敗北でもなく、あくまでも職の選択である。

 でも、うちの業界って、長く新人が少なかったから、新人の養成に不慣れなんだよね、きっと。その間に、ニーズばかりが変容して高まっているのに、システムが新人を換算してないというか。昔ながらの永久就職体質を引きずっているのは、きっと年長者の方なんだよなあ。

 そんなことを、つらつらと思いながら、私も明日は我が身と考える。自分だけが決して病まないという可能性はない。仕事をやりながら、なんらかの自己実現ができているか。大変な中にも、楽しみを見出すことができているか。それを客観的に問い直す目を失ってはいけないよなあ。
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稽古場の空気
2008 / 06 / 05 ( Thu )
 公演後の不摂生がたたり、長くかぜをこじらせていたが、ようやく回復に向かっている。
 体が自由にならないということは、本当に不便だねえ。
 もっとも、かぜをこじらせているというのにあちこち出かけているから長引いたんだけれども。
 稽古がなくなって自由な時間が増えたら、あれもこれもやりたくなり、会えなかった人たちと会いたくなり、ついでにいろんな仕事が追いかけてくるので、夜の予定が目白押しだ。かぜをひいてる場合ではない。

 今夜は、今度振付をさせてもらうBEYONDの稽古場へ。おなじみ、扇谷夫妻のいる劇団である。
 気がつけば、もう公演まで1ヶ月を切っているのね。。。今回、なかなか稽古場に足を運べなかった。ここで振付をさせてもらうのはもう4回目?5回目?だが、ここまでスケジュールが詰まっているのは初めてかも;;
 稽古場で本を読ませてもらい、選曲について打ち合わせ。いつものBEYONDカラーは残しつつ、今までの作風とちょっと違った雰囲気。脚本的には今までのBEYOND作品の中で一番好きかも。どんな芝居に仕上がるか楽しみである。来週末には振り移しなので、私もがんばりますぞ!
 そして、稽古後は高円寺のおしゃれなアジアンダイニングへ。おなかいっぱいであんまり食べられなかったのが残念だけど、お食事がとってもおいしかった!アジアンビールも品揃え豊富♪また今度行ってみよっと。

 半月ぶりに公演稽古の空気に触れて、早くもなつかしい印象を受ける。
 公演稽古というのはいつも博打で、何かしら爆弾がつきもので(なかなか稽古場に来ない振付もしかり;;)、そのジレンマの中で最良のものを目指していくわけだが、やっぱりその闘いのプロセスがいいんだな。そのためには、最後まで譲れない芯が大切だ。がんばれ、扇谷くん!
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えんぴつ
2008 / 06 / 03 ( Tue )
 今日、論文を書く仕事があった。お題はその場で与えられ、原稿用紙に向かう。

 ・・・そう言えば、手書きで長い文章を書くことが、久しくなかったなあ、と痛感した。

 文章を考えるのも、最近はすっかりパソコンだから、書いちゃ消し、あっちとこっちを入れ替えて、ここにもう一言付け加えて、なんてのが造作もなくできるけど、手書きだとそうはいかないんだよね。どこか直そうと思うと、それ以降全部消さなきゃいけなかったり、その手間を考えると「まぁ、いっか」なんて妥協してみたりして。パソコンだと、とりあえず書き始めるなんてこともできるけど、手書きだとそのぶん頭の中で推敲しなきゃならないから、書き始めに勇気が要る。脚本なんて、パソコンじゃなかったら一本書くのに3ヶ月はかかると思う。私の場合はね。

 でも、本当はこれが基本だよなあ、とあらためて思った。
 帳消しにすることは、ロスが大きくてペナルティがかかる。 
 簡単にやり直せることが、安易なあきらめにもつながっていやしないか。
 最善じゃないかもしれなくても、一からやり直すよりは、今までやってきたことをいかに次に生かせるか。それを考えることが実は一番効率的なのかもしれない。

 そして、今日私が思ったことは、えんぴつを買うこと;;
 シャープペンシルは、たくさん書くには硬くて不向き・・・えんぴつを買うなんて、何年ぶりかしら。
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