アドヒアランス
2008 / 02 / 27 ( Wed ) 今夜は、都内某病院で行われたHIV/AIDS症例検討会なるものに参加した。主に直接患者と関わっている人対象の検討会だったので、参加者はお医者さんや看護師さん、ケースワーカーさんなどが多く、いささか場違いな感じだったのだが、実際の現場の空気を感じたかった。
エイズ治療は、現在は拠点病院を中心に行われており、実際問題として、どこの病院でも診てもらえるという現状ではない。この会は、そうした専門的な医療従事者が、事例検討を通して情報や実践例を共有しようという趣旨で行われているので専門用語が多かったが、それはそれで興味深かった。 前にも一度取り上げたが、さまざまな新薬の開発により、エイズは完治はしないまでも死なない病気になった。薬を飲み、治療を続けながら、普通に社会生活を送ることができる。だから、その他の慢性疾患と同じように、これからは高齢のキャリア・患者の方が増えていくとのこと。 そこでしばしばネックになるのが、アドヒアランスの問題である。つまり、患者本人が、どれだけ自分の病気を理解し、治療の必要性を感じて積極的に取り組むか、という問題だ。具体的には、きちんと薬を飲んだり、生活管理をしたりできるか、ということである。かつてはコンプライアンスと言われたが、コンプライアンスというのは指示されたことに従うという意味があるので、より主体的な意味を持つアドヒアランスという概念に変わりつつある。今回も、アドヒアランスがよくないために、治療効果が上がらないという事例が紹介されていた。 「きちんと薬を飲んでいるのにどうしても症状がよくならない、どうしてなんだというケースがあって、血液検査をしたところ、血中にまったく薬の成分が発見されなかったことがありました。つまり、実は飲んでいなかったんですねぇ。でも、そこからが始まりです。飲んでいなかったことが分かったからって何にもならない。」 なるほどなぁ・・・と思った。どれだけ効く薬を開発しても、それを飲まなかったら意味がない。飲まなかったら寿命が縮むのに、どーして飲まないの!?と思うが、きちんと飲まない気持ちもまた分かる。 自分が若くして不治の病にかかったら、どうだろうか。何もかもがいやになって、まわりのものすべてが腹立たしく思えるかも知れない。薬を飲むこと自体、その病気と一日に何度も向き合わされることだから、そりゃあ嫌気も差すだろう。ましてや、エイズというのは発症しないうちは痛くもかゆくもなく日常生活が送れるわけだから、差し迫った現実味がもてないまま治療負担を強いられることになる。 でも、悲しいなぁ・・・。自分の健康に対して、もういいやと投げやりになってしまう気持ちが、つくづく悲しいと感じる。結局、科学技術の発達は人間の心には勝てない。自分を大切にしたいという気持ち、最後まで闘い抜きたいという勇気がなかったら、何にもできないのだ。やっぱり、最後に必要なのは自分の意志であり、心なのだ。 その事例の人は、どういう人なのかなあ、と考えた。恋人からうつされたのかなあ。その恋人はどうしたのかなあ。家族には話したのかなあ。今、誰かがそばにいるのかなあ。何であれ、また明日がやってくるんだなあ。 必要なのは、まっさらに新しくやり直す勇気ではなくて、今あるカードをどう評価しどう使うかという勇気なのだ。物を捨ててしまうことは簡単だけど、人生は捨てきれない。そして、まっさらで新しいものだけが美しいわけではないと、折り重なったしわの一つ一つの美しさに気づく目を持たなければならない。大げさなようだけど、「キレイ」な価値観をもうそろそろ脱しなくてはならない。 自分のことを自分で見るのは難しいから、やっぱり近くにいてくれる別のまなざしが大切だったりする。 ついでに話は大いに横道にそれるけど、学校教育の中で性教育手控え論が横行して、しばらくたった。この傾向は当分継続されるようである。私は、数年後に性感染症やエイズが爆発する事態になるんではないかと危惧している。まぁ、10代のクラミジア感染症とか、もう爆発といってもいい事態になっているんだけどね。エイズも、未だ減少に転じていない先進国は日本だけらしいし。 性教育手控え論は、まあいわゆる「寝た子は起こすな」的な考え方で、性のことをあからさまに子どもたちに教えると、かえって変に目覚めて発展的な行動に走るんじゃないかという思想である。某議員の発言に端を発しているんだけどね。いろいろな性犯罪だの問題行動までが、根拠となるデータもなく発展的な性教育のせいにされてしまっている現状がある。問題なのは、アダルトビデオとかアダルト雑誌における性の扱い方なんだけど、性教育も一緒くたにされてしまっているふしがある。 でも現実を見ると、知識を持たずに丸腰で世の中に出るのはあまりにも危険である。今や、携帯とインターネットで、年齢を問わずに一人きりになれてしまう時代。何がどうなってどうなるか予測して、自分で自分の身を守る力がこれだけ必要な世の中なのに、性に関してだけ無防備をすすめるのはいかがなものか。性犯罪に遭うとき、あるいは性行動の選択を迫られるとき、アドバイザーは決してそばにいないのに。 性教育というものをまったく理解していないか、自分のセクシュアリティがよほど貧困か、どちらかでしょうね。そもそも「寝た子を起こすな」の考え方は、本人の意志や主体性をまったく尊重していない、信用していない。私はそこに、見えざる支配性というか、何か裏の意図を感じてならないのです。いったい、どこの神様の理念なんだい? ともあれ、性にまつわる病気や犯罪や行動は、本当に人の一生に関わるので、悔いや失敗のないように、あるいは悔いや失敗の中からちゃんと立ち上がれるように、そういう力が必要だと私は思う。そのために、必要な情報やスキルは全員に与えられるべきだと思う。 |
夢をあきらめないで
2008 / 02 / 21 ( Thu ) 今日、「夢をあきらめないで」を歌った。
言わずと知れた、岡村孝子のなつかしい曲。私は中学・高校時代によく聴いていた。 久しぶりに歌ったら、昔とは違った感じで何だかじんときて、思わず涙ぐんでしまった。 あらためて、いい曲だねぇ。 もちろん、「夢をあきらめないで」というタイトル通りのメッセージもすばらしいのだけど、それ以上にこの曲には相手を見送る潔さがある。 誰かと別れるとき、笑顔をもってお別れすることが、最後のプレゼントだと思う。そこに、相手の背中をそっと押してあげられる、さりげない励ましがあればもっといい。 そのためには、いつが最後になっても悔いのないように、今の時間を積み重ねていくことだ。別れるということは、そこでお互いの関係を規定するということだ。同じ別れなら、憎み合って別れるよりも、労り合って別れる方がいい。そういう関係でいられたということだから。もちろん、やせがまんで笑顔を見せるのではなくて、ちゃんと笑顔を見せられる、そういう心の状態を認識していることだ。それができないなら、その関係はもうとっくに終わっていたのだ。過去完了。 『優しい言葉探せないまま、冷えたその手を振り続けた』 『心配なんてずっとしないで。似てる誰かを愛せるから』 何気ない言葉に、今までの時間と胸いっぱいの気持ちが詰まっている。 後ろ髪引かれる思いはあっても、幕切れこそ潔い人間でいたいものだ。 |
引っ越し
2008 / 02 / 14 ( Thu ) 突然ながら、引っ越しをした。あれよあれよという間に決まってしまったのだが、何かが動くときというのは、えてしてそういうものかもしれない。
引っ越しのために、この一週間ほどは家の片づけに追われた。もっとも、劇団をひと区切りした後、去年の夏にかけて不要品を処分し、部屋を大々的に片づけていたので、長く住んでいたわりにはスムーズに荷造りできた。また、家具や家電もいくつか買い換えることにしたので荷物もそれほどかさばらず、引っ越し屋さんに感謝されたほど。まあ、そのために粗大ゴミに出すベッドを夜中に1階まで引きずりおろしたり、オーダーしたカーテンを後ろ髪引かれながらゴミ袋に入れたりという、物理的・精神的な葛藤はあったけど。。。 引き出しの中から押し入れの奥まで、部屋中の物をあらためていると、いろいろなものが出てくる。 ちょっとこっ恥ずかしい昔の写真、きっちりと整理された手紙、自分が書き留めておいたものなど、つい片づけの手を止めて見入ってしまったこともしばしば。 そのたびに、気持ちが過去にしばしタイムスリップする。苦い気持ちになることも、甘い気持ちになることも。どの瞬間も、それぞれの意味を持って今につながっていることを感じる。安らかで楽しい気持ちでいられる今を、幸せに思う。引っ越しを終えて、すっかり空っぽになった私の部屋。 7年前の暑い夏の日、内見に来て即決したのだった。ある時は舞台美術であふれてきゅうくつだったけど、こじんまりとした空間は何もかもが手の届くところにあって、居心地がよかった。ここでいろいろなものを作った。 新しい部屋はまだ慣れないけど、広々して暮らしやすい。 ここでまた新しい時間を積み重ねていこう。 |
着物が好き
2008 / 02 / 09 ( Sat ) 今年の冬は寒いねぇ。
今日は、芝居を2本見て、劇場を出たらすっかり雪景色になっていたからびっくりした。 劇場に入る前は、まだ降り出してもいなかったのに! 自然が魅せてくれる驚きはいつも新鮮で圧倒的だ。 人間がどんなに一生懸命に創るものも、やはりこのスケールにはかなわないなあと思う。 さて、先月から、着付け教室に通い始めた。 着物はもともと好きだし、以前時代物の芝居に出演したときにちょっと習いに行ったこともあって、簡単な着付けはできるけれども、だんだんと細かいところを忘れて我流になっていた。この際、基礎からちゃんと習って、留袖や振袖の着付けもおぼえたいなあと思い、あらためてスタート。他の予定となるべくかぶらないことを考えて、土曜日の午前クラスを選んだが、休日早起きするのは私にとって至難のワザ。。。でも、これを機に早起きできれば、時間を得した気分になるからいいか。 今の教室は、練習用の着物や帯は貸してくれるので、毎週いろんな着物を装えるのも楽しい。自分なら選ばないような色の着物が、着てみると意外と似合ったりすると嬉しくなる。 それにしても、着物の世界は奥が深い。。。時代の波に洗練されて、非常に合理的な作りになっているし、おしゃれを最大限に楽しめる衣装だと思う。色合わせや帯結びで、いかようにもバリエーションや個性を表現できる。また、どの年代でも、他の年代にはできない魅力的な装い方ができるのもいい。 この先の人生で、何かひとつ、自分が継承できる文化を身に付けることができたら素敵だと思う。 そういう年代になったということかな。 |
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そのたびに、気持ちが過去にしばしタイムスリップする。苦い気持ちになることも、甘い気持ちになることも。どの瞬間も、それぞれの意味を持って今につながっていることを感じる。安らかで楽しい気持ちでいられる今を、幸せに思う。