something sweet
2007 / 06 / 29 ( Fri ) ![]() パルコ劇場で、「something sweet」を観た。 中谷まゆみ作・板垣恭一演出の、私の中ではかなり最強なコンビによる作品なので、とても楽しみにしていた。 いやぁ、おもしろかったよ。 辺見えみりと星野真里演じる2人の女の子をめぐる、恋と友情の物語。「ビューティフル・サンデイ」や「ペーパー・マリッジ」のように号泣する作品ではなかったものの、女同士のさまざまな感情が大胆にていねいに描かれ、ぶつかったり嫌ったりしながらも根本的に許し合っている絆を感じた。 これだけお笑いやテーマっぽい(?)芝居が席巻する中で、いわゆるウェルメイドを書かせたら、中谷まゆみさんはすごくいいと私は思う。笑わそうと意図していない(ように見せて意図しているのだろうが)ところで、本当におかしくて笑えるし、言いたいことがちゃんと身に迫る。 まあ、こういう芝居の常として、どうしても語りが多くなるので、役者が輝いていないと難しいけど。辺見えみりの、力まない飾らない芝居は好きだなあ。星野真里も、役を多面的に生かしている感じでとても魅力的だった。山崎樹範は、ほんとしょうもなくておもしろかった。駄目ンズなのに、ああいう人がいたらやっぱり一緒にいちゃうかも。あ、でも友達でいいや。金子昇はイケメンだった。ルックスだけで芝居が成立するぐらいイケメンだった。井端珠里は理屈抜きでかわいかった。ちょっと嫌な役だったけど、それをちゃんと全うしていたと思う。 私は、いわゆる女の子同士のベタベタした付き合いが苦手だ。気の合う女性は、わりとドライな人が多いと思う。オンナオンナした人は苦手だ。でも自分の中に同じものがあることははっきり感じる。そして、私は自分のそういう部分があまり好きじゃないので、人前で出さないように気をつけている。潔くなくて、甘えていて、依存的で、自己中心的で、時に残酷な、オンナオンナした部分。 でも往々にして、女の子はそういうところがかわいかったりもするんだよね。なんだ、この矛盾は。 something sweet。人生には何か甘いものが必要だ。 私の人生の甘いものは何だろうか?それはやっぱり、・・・内緒。 |
片付け紛争
2007 / 06 / 28 ( Thu ) ここ最近、我が家のあまりの狭さに嫌気がさして、引越し熱がヒートアップしていた。
不動産屋にも足を運び、いくつか物件を当たってみたものの、なかなか条件のいいところが見つからず、引っ越すと思うと後ろ髪も引かれ、総合的に見て今のところ我が家が一番マシじゃないかという結論に落ち着いた。街の雰囲気が気に入っているのも、意外と大きい。 だがしかし。狭いものは狭い。 なぜだ。 そう、我が家は物が多すぎるのだ。本も洋服も家具も多くて、まったく収拾がつかない。 そこで、このたび一念発起し、徹底的に我が家を片付けて、住環境を改善することにした。 片付けの極意は何と言っても捨てること。これに尽きる。どんどん捨てていたら、いつの間にかものすごい量のゴミ袋が。。。こんなにいらない物があったの!?そりゃあ片付かんよ。。。 昔好きだった、リボンのいっぱいついてるようなかわいい服も、ついに捨てた。もう着ることないし。あ、でも2着だけ、押し入れの奥にかくまった。私の一時代を飾った、思い出のお洋服たち。さようなら。 そして本は古本屋へ。昔好きだったけど、最近はあまり読まなくなった山本文緒や唯川恵、江國香織たちはさようなら。辻仁成と村上春樹は、古い物もやっぱり手放せない。柳美里もなんか捨てられない。 芝居の取材のために買った本もたくさんあるけど、マニアック過ぎて引き取ってもらえないかもなあ。 家具は、舞台で何度も活躍した古い事務机といよいよさよならだ。部屋が狭くならない程度のデスクを買う。そして手元に残した本たちを並べる新しい本棚を買う。たくさん入るやつ。 そして、ほとんど物置と化している台所をなんとかせんとー。うちみたいなのって、風水とかにこだわる人が見たら最悪なんだろうな。 物って、手に入れるときは簡単なのに、手放すときは大変。まるで人間関係のようだ。これからは、物を所有することに、もう少していねいにならなくては。 安住できる我が家になるまで、片付け紛争はまだまだ続く。。。 |
元少年
2007 / 06 / 27 ( Wed ) 光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審が行われている。
この裁判については、もう開いた口がふさがらないほど馬鹿げた展開になっていて、口を差し挟む気力も失せるが、ニュースを見るたびにハラワタが煮えくり返るので、やはり書きたい。 今さら、「殺意はなかった」だと!?いったい、どの口がそんなことを言うんだ? 「お母さんに甘える気持ち」だっただの、「(強姦は)生き返らせるための儀式だった」だの、「(死んだ赤ちゃんを天袋に入れたのは)ドラえもんを信じていたので、ドラえもんが何とかしてくれると思った」だの、馬鹿げているにもほどがある。 仮に百歩譲って本当にそうだったというなら、どうして裁判のはじめからそれを主張しない?差し戻しになって、あわてて傷害致死に仕立て上げようとしているとしか思えないじゃん。この犯人、友達に「男が女を求めるのは自然の摂理だ」とか手紙書いちゃって、強姦目的かつそれを全然本質的に反省してないのも、ばれちゃってるじゃん。 それでやっぱり頭に来るのが、18人も雁首そろえた弁護士連中だよ。なんでこんな馬鹿げた入れ知恵してるのよ。死刑反対かなんか知らないけど、そういう活動は事件と離れたところでやってくれ。この事件が死刑にならなかったところで、死刑がなくなるわけじゃないんだし、根本的な解決になってないでしょ?そんなに「命が大事なんですよ」って言うなら、アフリカの死にゆく子どもたちの力になってはどうですか。 毎回遺影を持ってこのやりとりを目の当たりにしている本村さんの気持ちを思うと、本当に胸がふさがる。本村さんのハラワタは、とっくにねじ切れてしまったんじゃないかと思う。 裁判に関わる人たちには、自分の主義主張とか、法律の解釈とかに固執する前に、起こったことの本質をシンプルに見つめる目を失わないでほしいのである。起こったことに取り返しはつかないとしても、せめてもの落とし前をどこでつけるのか、誠実に考えてほしいのである。犯人が死ねば落とし前がつくとは思わない。犯人が、自分のやったことをどのように認識し、どんな心ばえで生きていくのか、そこじゃないのか。たとえ死刑になるとしても、池田小の宅間みたいに、最後までファックユーな気持ちで死んでいくとしたら、何の償いにもならないんじゃないか。 事件当時、18歳の少年だった犯人。 今は、26歳の大人。 今彼がしている言動は、弁護団の入れ知恵があったにせよ、彼自身の大人の判断でやっていること。 だからなおさら腹立たしい。 |
殺陣ワークショップ
2007 / 06 / 26 ( Tue ) こないだの日曜日から、右膝をサポーターでぐるぐる巻きにしつつ、殺陣教室に復帰した。
ウォーミングアップの運動がボール蹴りからバドミントンに替わり、これまたずっしりと汗をかく。まだ完全に自由には動けないけど、やっぱり体を動かせるってうれしい。なんてったって、その後のビールのうまさが違う。 さて、リバーサイド殺陣教室では、来る8月5日(日)にワークショップを行います。 殺陣に興味のある方、芝居における特技を身につけたい方、和の世界に浸りたい方、一緒に稽古しませんか?もちろん初心者大歓迎!お待ちしています。 日 時:2007年8月5日(日)12:30〜17:30 場 所:下高井戸区民集会所 体育室 会 費:¥2000 持ち物:運動できる服装、体育館履き、あれば木刀 講 師:赤池 高行氏 (10代で大阪でアクションを始める。 その後芝居などを学び、十二騎での活躍を経て、現在はフリーで活動中。 時代劇出演作品は、「お助け同心が行く」・「姫将軍大暴れ」・ NHK大河ドラマ「元禄繚乱」・「魔界転生」・「Samurai Fiction」・ 「LAST SAMURAI」…他多数。劇場公開前の作品として「椿三十郎」) お申し込み・お問い合わせは、pckibo01@eagle.ocn.ne.jp までメールをください。 公式ホームページもできました☆ http://members.goo.ne.jp/home/school_of_tate こないだの稽古では、チラシ用の写真を撮りました。 つばぜり合いをしているのは、もちろん我らが師匠、赤池氏です。ふだんは温厚ながら、ひとたび刀を手にすると、表情までも一瞬にして変わる、まさに現代のサムライです。 みなさんのご参加、お待ちしています! ![]() |
媒体
2007 / 06 / 24 ( Sun ) 先日、仕事がらみの講演で、興味深いことを聴いた。
いわゆる発達障害に属するような子どもは、思春期に差しかかると、同年代のクラスメイトたちの人間関係から取り残されてしまいがちになる。別に無視されているわけではないが、ともすると、学校で一日中誰とも口をきかなかった、ということもあるらしい。周囲との関わりがうまくもてないことは、誰にとっても寂しいことだと思う。 どうしてそうなってしまうかというと、『媒体』がないためだという。媒体とは、間をつなぐもの、共通の話題や、一緒に取り組むテーマである。昨日のテレビのことでもいいし、部活や宿題のことでもいい。他愛ないことでも、誰かと関わるときそこには媒体が存在する。発達障害の子どもが媒体を持ちにくいのは、いわゆる「空気が読めない」ために、人と同じように共感したり、盛り上がったりすることが苦手だからではないかと思う。 ある発達障害の子どもは、ひどい花粉症でマスクをしていたら、クラスメイトに「花粉症?」と聞かれ「うん、そう」と答えた。たったそれだけのことだが、その子にとってはとても嬉しかったのだそうだ。クラスメイトに話しかけられたことが、久しぶりだったから。このエピソードを聞いたとき、ただそれだけの会話に心が弾むほどのうれしさを感じた、その気持ちがすごく想像できて切なくなった。人は、ほんの一言のやりとりに一喜一憂することがある。自分の中で完結しているだけでは決して得られない、飛躍の翼を他者がくれるのだ。 で、できるだけ多くの関わりを持てる媒体をうまく設定すること・・・と講演は進んでいったのだが、それはまた別の話になるのでここでは割愛。 もちろん発達障害の子に限らず、誰もが媒体を介して人とつながっている。 どんな媒体を介してつながっているかは、相手により場合により異なる。 いろいろな人との関係を振り返ってみるとき、媒体の重みは関係の重みである。 たとえば、古い友人や、家族との絆が切っても切れないのは、長い時間や思い出といった媒体がどっしりと横たわっているからだろう。いいことも悪いことも、同じものがよそにはない、一朝一夕には手に入らない、かけがえのない媒体である。 新しく人と出会うとき、最初はどんな媒体でつながれるか、模索しながら会話をする。私は人見知りなこともあって、この時期が結構苦手だ。警戒心が強いというか、最初はあまり自己開示しないタイプなので、自分の持てる媒体をさらすのが苦手。しかし、共通の媒体を発見したり、相手が興味深い媒体を持っていると楽しくなる。もっと仲良くなると、いちいち媒体の存在など意識しなくてもつながれるようになる。 いろいろな人とつながれるように、自分の媒体をもっと肥やしていきたいものだ。 |
心中天網島
2007 / 06 / 17 ( Sun ) 昨日はBEYONDの稽古場で振付。
まだあんまり動かない方がいいのに、サポーターで右膝をぐるぐる巻きにしつつ、やっぱりいっぱい踊っちゃった。踊らないで振付なんてできないし。でも、思う存分動くことってやっぱり気持ちがいい。久しぶりだったからなおさら。もちろん、その後のビールの味も格別だった♪ 本当はいけないんだけどね〜、靱帯は無理せず大事にしないと。今日から、また少しおとなしくしよう。。。 少し前になるが、篠田正浩監督作品「心中天網島」のDVDをもらって、観た。岩下志麻・中村吉右衛門主演、1969年作、私がまだ生まれる前にできた作品。私は映画のことには詳しくないんだけど、それでもえっと目を疑うような斬新な趣向に満ちた作品だった。 商家の旦那が遊女と深く馴染んだ果てに心中するという、近松門左衛門の浄瑠璃を映画化したものだが、セットは抽象的な書割を使用していて、書割が開いたりドンデンを使ったりする場面転換も抽象的で演劇的。しかも、黒子が堂々と(?)大勢出てくる。浄瑠璃をもとにした作品だから人形使いのイメージとかぶせているのだろうけど、情事のシーンにさえも、傍らに黒子が立って見下ろしている。最初は、「なんなんじゃ、これは〜!?」と思ったのだが、観ているうちに、黒子たちの実体を持たない存在感のようなものが感じられてぞくっとした。ん〜と、物語の成り行きがそうならざるを得ないような、世間の目というか意志というものが、黒子の存在を通して感じられた。 そして、岩下志麻のきれいなこと。この人には淫靡な雰囲気はあんまりないし、ヌードも出てこないんだけど、なんとも濃厚に色っぽい。遊女役と妻役とを兼ねた一人二役なのだが、どちらも魅力的な女として描かれている。遊女と妻は、おたがいに女の義理を立て合って、筋を通している。一方、あんな魅力的な妻がありながら遊女に走ったり、本人に確かめもせずに心変わりを嘆いたり、それを妻の前で泣いてみせたりする男はどうかと思うが、得てして男性はそういうもので(そうじゃない男性のみなさまごめんなさい)、そういうところに振り回されつつ愛してしまう女性の気持ちは分からんでもない。 二人は最後に心中を果たすのだが、愛する二人が共に死ぬという感覚は実に日本的だなあと思う。 希望のない未来をはかなんで、せめて死ぬときは一緒に、という意味もあるだろうけど、今の状態で封印したい、これを自分の信条として証を立てたい、そんな気持ちもあるんだろうな。人間は生きていく限り変わり続けるし、永遠に今のままであり続けるには、究極的には死しかない。以前、「ゆりかごでお留守番」の辰己のセリフの中に、「性欲と攻撃性は出どころが近い」と書いたけど、それを突き詰めれば性欲と死は隣り合わせである。この映画でも、墓場で情事をするシーンが出てくるが、後に続く死への序章として興味深い。 ま、いわゆる日本的なものは今の日本には失われつつあるという矛盾はありますが。 創作意欲が、こってりと乗った作品。そう言えば、そういう作品には意外となかなか出会えない。 |
稽古場のハシゴ
2007 / 06 / 10 ( Sun ) 今日は、今度振り付けを担当させてもらうBEYONDの稽古場へ。気球の舞台にも何度も出演してくれた、扇谷学氏主宰のユニットである。ここで振り付けをさせてもらうのは、今回で4回目。
4回目とはいえ、よその稽古場に行くのはそれなりに緊張するが、ドアを開けるなり知った顔がたくさんいて、ほっとする。セレブや大マヤちゃんをはじめ、前回公演に出てくれたくらちゃん、いつものBEYOND家の人々。初対面の顔ぶれも、みんないい笑顔を持った感じのいい人たちで安心した。 ダンスシーンにつながるシーンを見せてもらい、曲や立ち位置、衣装の打ち合わせをして今日は終了。振り付けは今週末までの宿題である。足が思うように動かないのが残念。。。だからといっておとなしいダンスにするつもりはないんだけど、私も思いっきり踊りたいなあ;; そして、しばらくぶりに触れた公演稽古の雰囲気。空気の濃い感じ。抜き稽古を見つめる自分のまなざしがだんだん集中していくのも、懐かしい感覚だった。いいねえ、やっぱり稽古場は。 その後、殺陣の稽古へ。 もちろん、今週は見学です。。。 でも、みんながやってるの見てるとやりたくてたまらない! いいなぁ〜〜〜;;やりたい〜〜〜! 小刀を取り出して、座ったまま振り回しながら見学してました。 来週は、やっぱり居合い着を持ってきて、できることをしよう。。。抜刀・納刀の練習とか。。。ぐすん でも見ていると、立ち回りの流れを冷静に見つめたり、それぞれの癖がよく分かったりしてそれはそれで勉強になります。リハビリに努めつつ、復帰のときに生かせるようにしたいと思います。。。 |
けがの徒然
2007 / 06 / 06 ( Wed ) 曲がらない右膝を抱えて3日目。
昨日・一昨日は、労務災害で働けなくなって家で酒びたりになるオヤジ並みに(いや、労務災害じゃないしお酒も飲んでませんけど)、くさっていた。時間はあるんだから、こんなときこそ本を読むとか作品の構想を練るとかすればいいのに、気持ちがくさくさしてやる気が起きないので、10時にはフテ寝していた。おかげで睡眠たっぷりで、お肌の調子だけはいい。 さすがに今日は少し立ち直って、家でできる家事などをしてみる。労務災害で働けなくなって家で酒びたりになったオヤジが、家族の留守にちょっとだけ働いてみた、そんな気分だ。 そういえば、昔、小学校に上がる直前に、足を骨折して入院したことがあった。母が泊り込みで付き添ってくれたけれど、そのときもベッド中おもちゃを散らかして「つまらない〜」と夜中までグズッて母や看護婦さんを困らせていた気がする。なんか、あのころと変わらないな;; 私の祖母のりんさんは、脳卒中の後遺症で、私の記憶にある限りずっと半身不随だった。歩くのは不便そうだったけど、毎日せっせと散歩を続けていたし、動く右手で俳画を描いたり、私に編み物を教えてくれたりした。そして「私の人生で、今が一番幸せ」と言っていた。戦時中を生きた人だし、苦労の多い人生だったんだろうな。厳しく誇り高い人だったけど、いろんなことを教えてもらった。今度、お墓参りに行こう。 ふだん思い出さないことを、ふと思い出すのもけがの功名かしら。 |
なんてこったい!
2007 / 06 / 04 ( Mon ) 昨日、殺陣で立ち回りをしていた際、足袋をはいていた右足がつるっと滑って極端な内股になり、右膝の内側を打ってしまった。そのときは「いたっ!」と思ったが、まあすぐ立ち上がれたし、多少の違和感がある程度だったので、かまわず型の稽古などを続けていた。おまけにいつもの居酒屋ふじへ行って、ビールをがぶがぶ飲んでいた。稽古仲間は「明日医者に行った方がいいよ」と心配してくれたが、「大丈夫だもん。明日起きたら痛くないもん」などとうそぶき、一応家にあった湿布を貼って寝たのだが。。。
深夜、寝返りを打った拍子に右膝に激痛が走った。ぎぇぇ!でもそのときは眠気の方が勝っていたので、湿布を貼り替えてまたすぐ寝てしまう。 朝、起きようとして、あまりの痛みに息が詰まりそうに。あ、足が曲がりませんが。。。ゆっくりゆっくり曲げてベッドに腰かけると、今度は立ち上がって膝を伸ばすときに激痛が。。。ちょっと!せめてどっちかにしなさいよ! ともあれ、分速5メートルぐらいしか歩けず、常に「あだだだだだだ!」と叫んでいる状態では仕事にならないので、出勤前に病院へ。 はい、右膝内側靱帯損傷でした。。。歩けるように固定してもらい、痛み止めをもらって出勤です。 ひえ〜ん。 殺陣もせっかく調子が出てきたのに、どうするの〜。 気球のワークショップもあるのに、どうするの〜。 イケメンインストラクターのエアロビクスは、どうするの〜。 飲み会の予定は、どうするの〜。。。 なんか今日一日はそろそろとスローペースで動いていたので、おばあちゃんにでもなった気分。ふだんは、家でゆっくりする時間もあるといい、なんて思ってるのに、こんな事情で家に早く帰ってもなんだかつまんない。でも、早く治すには動かないのが一番だしなぁ。今週一週間は、おとなしく過ごすとするか(泣)。あ、ワークショップはやりますけど。 |
キュートな葛藤
2007 / 06 / 02 ( Sat ) 朝ぬいぐるみを抱いていて、リサとガスパールが結婚したらパンダみたいなポップな子か、あるいは全身グレーのシックな子か、どちらが生まれるのかなあと考えた、平和な休日。
夜、シアタートップスに劇団双数姉妹の「チューブラルーム」を観に行った。とても好きなInncent Sphereの作・演出、西森氏が自身のブログで賞賛していたので、急遽観に行こうと思った作品。 いや〜、おもしろかった!2時間あまりと長かったけど、全然飽きなかった。西森氏も書いていたけれど、なんと大胆で遊び心満載な舞台装置!あんなの見たことない。舞台って、なんでもできるんだなあ。やろうと思えば。 常々思うのだけど、芝居を観るときに、私はちょっとくらいの矛盾はあんまり気にしないんだけど、観ていて気になるのは葛藤がぬるい芝居だ。「えー、そんなに大したことないじゃん」と思ってしまうことで、役者が熱心に悩んだり泣いたりしているのを見ると萎えてしまう。「そんなにおもしろくないじゃん」ということで大笑いしていても、「みんな知ってることじゃん」ということをあらためて「発見」していても同じことだが。 今日の物語は、遊び心に満ちていてキュートで、途中笑えるところがいくつもあって、最後まで度肝を抜く計算があるのに、葛藤の重さがずっしり伝わってきた。辛い涙にも共感はできるけど、辛いのに懸命だったり、辛いのに笑っている方がずっと胸に迫る。辛いとき、たぶん人間は辛さを意識しないものだと思う。その中でできることをただ模索してあがいているのであって、辛さを実感できるのはある程度余裕ができてからだ。「私は今苦しいんです」「傷ついているんです」というアピールに嘘を感じるのはそのせいだ。 今日は、また観たいと思える劇団に出会えてよかった。 |
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少し前になるが、篠田正浩監督作品「心中天網島」のDVDをもらって、観た。岩下志麻・中村吉右衛門主演、1969年作、私がまだ生まれる前にできた作品。