傍聴日記☆07.05.28
2007 / 05 / 28 ( Mon )
 わ〜い、平日休みだ!となれば、もちろん行き先は裁判所。たまたま小嶋進と監禁王子の公判があったせいか、裁判所は混雑していた。今日は中條さんと連れだって、傍聴ツアー開始☆
 
 今日は、たくさんの公判を見ることができた。その中で、印象深いものをいくつか。

 高等裁判所で見た殺人事件。
 毎日たくさんの公判が行われているとはいえ、殺人事件というのは決して多くはない(そうごろごろあっても困るし)。中でも今日見た公判が珍しかったのは、被告人が女性だったこと。被告人が女性の殺人事件というのはごく珍しい。傍聴マニアな私でも、まだ法廷で出会ったのは2人目だ。
 高等裁判所の事件の歯がゆいところは、事件の細かい取り調べは一審で済んでいるのが前提なので、事件の概要が分かりにくいところだ。審理の端々から、事件を物語るワードをつかんで推察するしかない。話の流れから察するに、この事件の被害者は被告人の娘なのだった。つまり、目の前にいるこの女性は自分の娘を殺したことになる。だが、それも数年前に引き取った、という話なので、ひょっとすると養護施設などに預けていた子どもか、あるいは配偶者の連れ子なのか。
 しかし、一貫して「おや?」という印象を抱かせるのは、被告人のごくごく淡々とした態度だった。被告人質問にも、淡々と明確に答えるし、犯行の具体的な状況を訪ねられても、顔色ひとつ変えない。あまりに淡々としているので、聞いているこちらも思わず眠気をもよおしてしまったほど。彼女の言葉通り「幸せの絶頂にあって」「子どもをとても愛していた」と言うならば、なぜ殺したのか、なぜ感情を乱すこともなく思い出すことができるのか。
 控訴の理由は、犯行当時、向精神薬の乱用(オーバードーズ)と飲酒で精神的におかしくなっていて、そのときの記憶が全くないということ、そして精神鑑定が必要だからという内容だった。裁判官3人で精神鑑定の必要性を合議することになり、しばし小休止。まあ、感情が鈍磨したような淡々とした反応も、精神的に病んでいたとすれば理解できなくもない。。。そして一審でくり返し公判を重ねたことで事件に対する感情が摩耗してしまったと解釈できなくもない。。。
 やがて公判再開。裁判長から、被告人の精神鑑定を認めるとの結論が告げられる。すると・・・さっきまであれほど感情を乱すことのなかった被告人が、泣いているではないか。え?それは、誰のための涙?精神鑑定で減刑の道が開けてきたことのうれし涙?どうせなら、自分が殺した娘のために泣いてあげなよ。
 先ほどまでの淡々とした態度も芝居のように思え、今後の成り行きに注目したいところである。
 
 横領&窃盗の事件。
 自分が雇われ店長をつとめる飲食店の売り上げから10万円を抜き取り、さらにパチンコ店で7500円入ったICカードを盗んで捕まった被告人。
 107500円はもちろん大金には違いないけれども、正直言って、それだけのことで衆人環視の法廷に立つとは…犯罪には違いないから当然なのだが。でも、傍聴しているとつくづく思うのだけど、法廷というのはまさに石持て追われるような場所なのである。犯した罪はもちろんのこと、顔も名前も、生い立ちや暮らしぶりまでも、他人の前にさらされるのである。
 しかし聞けば、この被告人は高校時代に両親を立て続けに失い、兄弟親戚とも疎遠で、そういえば情状証人として出てきてくれるような友達もいないようなのだった。
 うむー。。。
 悲しむ人もなく、路頭に迷わす人もなく、誰かに何を期待されることもないのなら、ひょっとするとこの場も別に恥ずかしくもなく、悔いいる気持ちにもならないのかもしれない。せいぜい私みたいな物好きの視線がうざったいぐらいのものだろう。ただ無表情に前を見つめている被告人の顔を見て、そんなことを感じた。
 私は、誰かのために生きるとか、誰かに必要とされることに生き甲斐を見出だすとか、そういう考えは好きじゃない。その誰かがいなければやっていけないのかと思うと、他力本願な気がする。誰かのために生きるとしても死ぬとしても、それは自分が決めた自分の生き方だと思う。
…話が横道に逸れたが、しかしこの被告人を見て思ったことは、人は他人との関係性によって、初めて自分を客観的に見ることができるということだ。誰ともつながっていなければ、たぶん恥ずかしいことも、これじゃだめだと思うことも、しっかりしようと思うこともないだろう。そして、本当の意味で反省したり、何かを償うこともないのだろう。しかしまあ、生きるエネルギーが完全に失われている様子にも見えなかった。彼が、どこかで、本当に大切に思える人に出会えることを祈りたい。

 住居侵入&強姦の事件。
 これも控訴審。
 一審の減刑を願って、本人の反省の姿勢を見せるために、本人が被害女性に当てて書いた謝罪文を提出していた。
 一見おだやかそうに見えるかなり年輩の検察官がエキサイト。「君の手紙は、この期に及んでまだ被害者の女性をからかっているとしか、おちょくっているとしか思えん。なんだ、この手紙は!早く忘れて元気になってくださいだ!?君に言われるまでもなく、この女性は忘れたくて仕方ないんだよ!でも忘れられなくて苦しんでるんだよ!こんな手紙もらったら、よけい思い出して苦しむだろうが!本当に被害者の気持ちになって考えたことがあるのか!?」
 ぱちぱちぱちぱち。かっこいー。
 そうでなくても極度の口下手らしい被告人は返す言葉もなく、たじたじ。最後に「…間違っていました」と言って終了。その後、裁判長にも手紙の無神経ぶりを叱られていたし、ま、控訴棄却は間違いなし。beer@日比谷公園
 でもね。思うに、あの口下手な、どこか鈍磨した雰囲気の被告人に、手紙を書こうなんて小賢しい考えが浮かぶとは思えないのよ。間違いなく背後で人ごとみたいな顔してる弁護士が、やらせてるんだよね。少なくとも、こんな手紙が武器になると思って提出したわけだよね。てことは、この弁護士も被告人同様、反省とか謝罪の感覚が甚だしくズレているということ。こういう弁護士は、本当の意味で被告人を更生させることはできないんだろうなぁ。
 
 そんなこんなで一日中法廷を回り、外へ出たのは5時だった。でもまだ外は明るく、日が長くなったのを感じる。日比谷公園へ立ち寄ってみると折しも噴水広場でドイツフェアをやっていたので、お茶代わりにドイツビールを堪能する。まだ明るいうちに外で飲むビールは最高。傍聴疲れもゆるく抜けていくのだった。
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赤ちゃん続き
2007 / 05 / 24 ( Thu )
 23日、千葉の雑木林に子どもを捨てた18歳の母とその友達の19歳の少女が死体遺棄で逮捕された。
 24日、仙台で2年前に空き家に生まれたばかりの子どもを捨てた20歳の女子大生が、死体遺棄で逮捕された。
 23日には、まだ誰がやったのか分からないけれど、豊島区のゴミ置き場に、ビニール袋に入った赤ちゃんが置かれていたそうである。偉かったね、泣き声を上げて。収集車の中に、入れられてしまう前に。

 赤ちゃんネタが続くけど、こういう事件を聞くたびに心痛む。
 もちろん、命を落とした赤ちゃんたち、親に捨てられた赤ちゃんたちが一番痛ましい。
 でも、親の年齢を考えると(最後の事件はどんな親か分からないけど)、それもまた心痛む。
 本当に、いるんだそうである。
 赤ちゃんが生まれてくるまで、妊娠に気づかない女の子が。
 私も「ええ!?そんなわけないだろう」と耳を疑ったのだが、本当にいるんだそうだ。自宅のトイレで赤ちゃんを産み落としたり、気がついたら破水していて病院に担ぎ込まれたり、そういう女の子が。あるいは、気づいてはいてもどうしていいか分からないでいるうちに日にちばかりが過ぎてしまい、出産に至ってしまう女の子が。
 それほど、知らないのである。何をしたらどうなって、どういう危険があって、どういうことが自分の身に起こるか、知らないのである。そのときどうやって自分の身を守ればいいか、どんな方法があるのか、どこに相談すればいいか、知らないのである。
 そして、誰も彼女に興味を持たなかったのである。臨月でお腹が迫り出ていても、誰も気づかなかったのである。そのことも「ほんまかいな!?」と耳を疑いたくなるが、本当にそうなのである。家族も、友達も。
 失われた命の重さは何ものにも替えられないけれど、こういう少女たちを逮捕することに私はむなしさを感じてしまう。彼女たちに何も教えてこなかった、変化に全く気づかなかった、まわりの大人は何をしていたんだろうか。
 
 あまり社会派めいたことを言うのは好きじゃないけど、個人に「こうあるべき」理想の姿を追求しすぎる社会は、そこから外れる者たちに対するフォローができない。この赤ちゃんたち、死ぬぐらいなら赤ちゃんポストに入れられた方がよほどよかったじゃん。しっかりした里親に育てられた方がよほど幸せだったじゃん。そういう選択肢に、変に後ろめたさを感じている、そういう感覚がすでに差別につながっているんだよ。
 それと、もう一つ思うことには、こういうときに必ず問題を背負わなければならないのは女性なんだよね。この子たち、死体遺棄だって。父親だったはずの男はどうしたの?
 男女はそもそもこのように決定的に立場が違う。離婚に伴う300日問題でもそうだけど、えらいオッサンどもの話し合いを聞いていると、生まれながらに背負う女性という立場を想像できていない。300日たとうがたつまいが、誰の子どもかなんて、自分が一番分かってるっつうの。命に関して、責任だけが重くて意志や権利は尊重されないんじゃ、割に合わないね。
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再会
2007 / 05 / 21 ( Mon )
 一昨日、携帯に一本の留守電が。

 「鈴木ですけど、松田さんの携帯でしょうか?折り返しお電話ください。」
 鈴木??って誰だっけ???私を松田さんと呼ぶからには芝居がらみの知り合いに違いないし、電話でもくっきりと鮮明に聞こえる発声はいかにも役者さんらしいけれど・・・鈴木という名前の役者に心当たりがないぞ?

 おそるおそる折り返しの電話をしてみたところ、なんと!電話の主は旗揚げメンバーの一人だった寺山月子さんだった!旗揚げ公演のキャスト7名のうちの一人でもある。ちょうどその頃、前に一緒にやっていた劇団で知り合った鈴木氏と結婚して、そういえば鈴木さんになっていたのだった。ふだん月ちゃん月ちゃんと呼んでいたので、苗字に馴染みがなかったのだが、そうか、あの月ちゃんだったとは!しかも、「明日ワークショップあるんだよね。行ってもいいかしら?」とのうれしい連絡。もちろん大歓迎である。一緒に稽古するのは旗揚げ公演の稽古以来だと思うが、こうして時を経てまた昔の仲間と一緒に稽古できるのも何ともうれしい縁である。

 そんなこんなで、昨日のワークショップには、月ちゃんや、さらには甲府からわざわざ参加してくれた新しい顔ぶれのあんなちゃん、元劇団員や客演の人たちが集まり、新鮮でにぎやかな稽古になった。
 再会した月ちゃんは、今や2児のママとなり、以前にも増してパワフルになっていた。こころよく稽古に送り出してくれた鈴木氏との仲の良さも相変わらずなようである。やはり、生活の場が安定していると、身も心も力がみなぎってくるものなのかしら。
 稽古終わりに「一杯だけね」と言って居酒屋へ。「こういうところ来るのいつ以来かしら〜」と興奮気味の月ちゃん。本当はもっとゆっくり飲んで話したかったけど、夜は殺陣の稽古があったので、後ろ髪を引かれながらも先に飲み屋をあとにした。
 時間をおいてもまた一緒に、年を重ねたなら重ねたなりの、稽古ができる。以前とはまた違う魅力が出てくる。それもまた芝居ならではの醍醐味だと思う。

月ちゃん
月ちゃん、久しぶり〜♪

 殺陣の稽古も、いよいよ熱い。8月のワークショップに向けて、まずは自分がちょっとはカッコいい立ち回りを見せられるように頑張らないとね;;
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ボディバーン
2007 / 05 / 18 ( Fri )
 最近、夜の予定がない日は、仕事帰りにせっせとジムに通っている。
 マシントレーニングもするけど、飽きっぽい私はストイックなトレーニングよりエアロビクスの方が楽しい。私がよく参加するのは中級クラスのボディバーンだ。同じボディバーンでも、インストラクターが違うと内容も異なる。利用者は正直なので、クラスの人気も歴然とした差がある。インストラクターも大変な仕事だなぁ。。。

 私がここのところ毎週参加している水曜日のクラスは、男性のインストラクターでとても人気がある。カッコいいウェアに身を包んだおばさま方が、ずらりと最前列に並ぶ。そのインストラクターがイケメンでカッコいいのもさることながら、振付のセンスがよくて、リードがうまいのだ。決して簡単な振付ではなくて、初めて参加したときなんか私は全然ついていけなくて泣きそうだったのだが、2回目からはついていけるようになった。ダンス的な動きもたくさん入っていて、やっていると脳からアドレナリンが出ているのが自覚できるほどテンションが上がって楽しい。始める前や終わった後のさり気ない声かけ、できないところがあるとそばに来てリードしてくれたりする心配りも、人気の理由なのだろう。とにかく、クラスの雰囲気が盛り上がっている。
 ネットで調べてみたら(こういうところが私のミーハーなところ)、あちこちでクラスを持っている引っ張りだこのインストラクターなのだった。しかもウェアブランドのモデルもやっているというから、あのスタイルのよさも納得。私もあんな体になりたい。性別違うからさすがに無理か。。。

 ところが、今日初めて参加した金曜日のクラスは、またまた男性でカバちゃんそっくりのインストラクターだった(男性インストラクターは、なぜか女性的な人が多い)。あまりに参加者が少なくて、最初からあやしいと思ったのだが、振付がわかりにくい上にリードが微妙。。。
「ほら、音楽ちゃんと聴かないからだよ」
「間違えてばっかり!」
「これできないと、この先辛いよ〜」
「僕のこと見ながらやってるからできないんだよ」
・・・だって、見なくちゃ分からないじゃん;; そんな感じで参加者を叱咤しながらリードしているので、だんだんとみんなの顔がこわばり、スタジオの空気が重くなってくる。途中で退場する参加者もいて、ますます人数が減る。しかも、参加者がほとんどみんなできないものだから、音楽を止めて説明している時間がちょくちょく入って、ちっともボディがバーンしてない。結局一番動いているのはカバちゃんだったような気が・・・あなたがうまいのは分かったけど、あまりにもみんなができてないんだから、振付を考え直してくださいよ。体動かせなきゃ意味ないんだから。あのクラスには、もう行かないなぁ。

 ダンスや踊ることは大好きだし、振付もやってきたけれど、元来運動神経が鈍いので、振付を体に入れるのにどうも時間がかかる。自分の振付さえ、踊れるようになるまでにそれなりに練習が必要なのだ。
 今のところ体重にさしたる変化はなくて残念だが、体脂肪率は少しずつ減ってきた。この調子でがんばろう☆
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赤ちゃんポスト
2007 / 05 / 16 ( Wed )
 熊本市の慈恵病院に設置された「赤ちゃんポスト」に届けられた一人目の赤ちゃんは、3歳ぐらいの幼児だったそうだ。自分の名前もちゃんと言えて、自分を連れてきた父親の名前もわかっていたそうだ。本来の「赤ちゃんポスト」の趣旨からズレるため、波紋を呼んでいる。

 私にしてみれば、0歳でも3歳でもあまり変わらないように思うのだが。3年生きてしまっただけで「対象外」扱いされてしまうのもかわいそうな話だ。自分の名前もわからない、まっさらな赤ちゃんならいいの?父親の記憶、親に捨てられたという心の傷のケアが新たな問題だ、と伝えられていたが、いやいや、それは0歳児でも同じですって。いつか事実を知る日は来るのだし。0歳でも3歳でも、保護責任の重さは変わらないのだし。むしろ、本物の親の記憶が少しあるだけでも、まったくないより幸せなことなのかもしれない。
 自分の子どもを安易に手放すことはもちろん許されないことだが、私は「赤ちゃんポスト」の設置に踏み切った熊本市&慈恵病院の対応は評価している。国レベルの政治家たちの方が、よほどもごもごしていて、現実が見えていないようだ。そんなものを設置すれば、簡単に赤ちゃんを手放すバカ親が増えるのではないか、という危惧も分かるが、バカ親を育て直す間にも、子どもは大きくなってしまうのだ。いや、大きくなれる子どもはまだいい。育てきれないバカ親に、ひどい目に遭わされて、あげく命を落としてしまう子どもがこんなにいるではないか。親をつかまえて刑務所に入れても、誰よりも愛してほしかった人に殺された悲しみは決して癒されることはないだろう。

 この3歳の子を置いていった父親は、どんな人なのだろう。
 母親は、この子を置いて亡くなったのか、出て行ったのか。
 おそらくは母親に出て行かれ、そのことも腹立たしいのに、まだまだ手のかかる子どもを一人残されて、途方に暮れたのだろう。とても自分一人で育てていけないと思ったのだろう。周囲に「○○ちゃん、元気にしてる?大変だろうけどがんばってね」と声をかけてくれるような関係の人はいなかったのだろうか。手を貸してくれるおじいちゃんおばあちゃんも、いなかったんだろうな。それほどまでに気にかけてくれる人がいないということは、父親自身も身寄りがなかったり、ちゃんとした仕事に就いていない可能性もある。
 「児童相談所などに相談を・・・」と行政側は言うが、そういう社会のシステムは、必要な人にほど知られていない気もする。実際、日々の仕事に汲々としていれば、役所や相談所に行く時間もとれないだろう。行っても、結局は「あなたがしっかりしなくちゃ」と言われるのが関の山なのではないかと、あきらめているのかも知れない。あるいは、何もかもすべてがいやになって無気力になって、前向きな手だてなどとる気も起こらないのかも知れない。だとしたら「赤ちゃんポスト」に連れて行ったことが彼のせめてもの賢明な判断だったのかも知れない。

 現実にはさまざまな事情がある。喜ばしかろうと嘆かわしかろうと、世の中には実にいろいろな人がいる。現実には、「赤ちゃんポスト」に入れないまでも、危うい線でぎりぎり子育てしている親も多いと思う。「こうあるべきだ」「こうすればこうなってしまうのではないか」という議論に終始して、今目の前で起きていることに対応できない政治は困る。未来のためと現在のため、両方の施策が必要だ。
 未来のためには、個人に、前向きに生きていく力とそのスキルを。もっと個人に関わっていける社会のしくみを(人と人とのつながりという抽象論はあえてここでは避ける)。先のことに夢が持てる多様なモデリングを。
 現在のためには、これは誰の仕事、これは誰の仕事という線引きはいい加減にして、社会のために必要なことをできる人がすること。そのためには、個人が自分の能力と判断に基づいて動かなければならないので、それができる懐の深いシステムを作ること。

 子どもは、社会の宝である。子どもが育たない社会は、終わっている。
 どんな運命に見舞われた子も、幸せになる切符は必ず持っている。
 私たちがすることは、その切符を決して放さないように、握りしめた小さな手を一緒にしっかり握ってあげることだ。
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ワークショップ♪
2007 / 05 / 12 ( Sat )
永遠の片想い 今日は、気球計画ワークショップの一発目。お天気にも恵まれて、いそいそと稽古場に向かいました
 当面、すぐに公演を打つ予定はないけれど、いつか舞台を創る日のために、また芝居の楽しさを身近に感じるために、はたまた自分の体や声のチューニングアップのために行う、基礎稽古を中心としたワークショップです。こじんまりと、でもていねいに続けていきたいと思っています。興味のあるそこのアナタ、一緒に稽古しませんか?お待ちしていますよ☆

 さて、今日は5人が集まって、ストレッチやフットワーク、発声等のトレーニングやインプロなどの稽古を行いました。こうしてしっかりストレッチするのも、こないだの公演以来・・・もう2ヶ月以上もたってる。。。どうりで体のなまりを感じるわけです;; でも、久しぶりに思い切り大きな声を出したり、集中してシーンを創ったりするのは楽しかった♪
 後半は、短編の脚本を使っての稽古。少人数でできる脚本というのがなかなかなかったので、稽古用の作品を1本書きました。上演時間15分の短編です。タイトル「永遠の片想い」。登場人物4人。内容は、ロマンチックでもなんでもありません。大真面目な、ラブコメディです。
 主人公・紀夫は、高校時代同じ部活だった真美子のことが今でも好きですが、真美子は紀夫の幼友達・隆と交際し、今は隆の妻になっています。その真美子から「会いたい」との電話。紀夫は舞い上がって駆けつけるのですが。。。
 みなさんは、「片想い」したことありますか?私は10代のころ、たまたま見かけた先輩に心惹かれ、たちまち恋に落ちました。その人のことを、何も知らないのに、です。しかもものすごいイケメンでもなかったのに、です。寝ても覚めてもその人のことばかり考えていました。しかし、勇気を出して告白し、何度も2人きりで話す機会を得たのに、なんだかうまく話せませんでした。やがて先輩は卒業し、当然のように振られ、当分の間泣いて暮らしていました。でも、今にして思います。私は、あの人と何がしたかったのでしょう?それでもあの人は、私のたぶん一生忘れないリストに名前を残しているのです。きっと誰しも一人や二人、そんな人がいると思います。
 
 今日の参加者とともに、入れ替わり立ち替わり読みました。後半は半立ちで、多少の動きも入りました。それぞれの個性が出て、座っての読み合わせより数段おもしろいものになりました。やっぱり、芝居はおもしろいなあ。
 来週日曜日は、もう少し参加者が増えます。この脚本を使って、もう少し読み深めたり、立ち稽古したりする予定です。
 
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裁判員制度
2007 / 05 / 11 ( Fri )
 今日は、東京弁護士会主催の芝居「東京地裁刑事第201号法廷」という芝居を観に行った。裁判員制度のPRを目的として作られた作品で、知り合いが傍聴マニアな私を誘ってくれたのだ。
 舞台で、実際に起きたある事件をモデルにした模擬裁判が行われる。もちろん裁判は、裁判員制度で行った形式だ。
 一人の男が自宅で窒息死する事件が起こり、その弟が被疑者として逮捕・起訴された。酒乱で暴れる兄を静めようとする母と弟。兄をうつぶせにし、弟が馬乗りになって頭を押さえつけ、母が手足を抑える・・・それが14年間くり返されてきた兄の暴力に対する、唯一の対処法だった。兄がそのまま眠りにつくまで、短くて5分、長ければ1時間半。そして、暴力がエスカレートしたある晩、起こるべくして起こったこの事件は、果たして事故?・・・殺人?
 事件をめぐる状況や証拠、そして裁判員たちの評議を聞いたうえで、最後には観客席も白か黒かに評決札を投じる一幕もあり、おもしろかった。弁護士会が作った芝居ということで、ちょっと弁護側に偏りがちな感はあったけれども(構成や照明効果が無罪を演出している)、いかにもありそうな、そして自分が陥ったらどうするか分からないと思える事件だけに、興味深かった。有罪の可能性を匂わせる事情がもっとあったなら(たとえば、酒乱の兄がいることで弟の縁談が破談になりそうだとか、兄に莫大な生命保険がかかっていたとか・・・)、芝居としてはもっとおもしろかったと思うけど。まあ、こうして人の人生の崖っぷちをすぐに芝居のネタにしたくなるのは悪い癖だな。。。^^;)
 疑似体験であろうとも、体験に勝る実感はないと常々思うのだが、今日の模擬裁判を見てあらためて感じることもあった。私は、裁判員制度には賛成の立場である。たびたび傍聴してみて思うことには、法廷という公の密室で行われていることを、一般人はあまりにも知らなすぎるのだ。でも、そこで行われていることは、間違いなく人の人生を左右することであって、そんな重大なことがいわばみんなの合意で行われているのだ。専門家に任せて法律や判例のしがらみに絡まった結果、判決や審理の過程が一般の常識と相容れないこともある。そもそも、人間の行動をして、これが罪だと定まったものはない。それを罪とするのは集団の意識であり、ルールなのだ。
 裁判員制度の実施には、まだまだ準備不足の声も聞かれ、消極的な人が多いようである。今日の模擬裁判を見て気づいたことには、この制度は、裁判官と裁判員たちの評議の場が大切であるということ。ここで、本当にざっくばらんにさまざまな考えを討議できなければ、この制度の意味はない。でも、初めて顔を合わせた人間同士が、今日の模擬裁判のようにざっくばらんに自分の意見を言い合えるとも思えない。だからこそ、評議の場には、話し合いの船頭とも言うべきファシリテーターが必要だと思う。裁判官にそれを任せることは技術的にも立場的にも無理だと思う。裁判官はコミュニケーションのプロではないし、結果的に自分の意見を言える立場なので、無意識的に議論を方向付けてしまう可能性がある。論点を整理して要領よく全員の意見を吸い上げ、議論を結論に導く技術を備えた人間を同席させてはどうだろうか。
 泣いても笑っても2年後にはスタートする裁判員制度。極論するなら、罪を裁けない者は許すしかない。私は、裁く人間もまた自分の手を染める行為のように思う。許せない人間を、誰か完璧な人間が裁いているのではない。私たちは、分厚い手袋をしているかのように無頓着だが、今日もこの手で誰かの人生に烙印を押しているのだ。ひとごとではない、と私は思っている。

 それはさておき、今日の舞台はあくまでもPR目的だから、当然のことながら本物の法廷では起こりえないことがいろいろとあっておもしろかった。裁判長は見事なスキンヘッドに立派なひげをたくわえているし(スキンヘッドは致し方ないとしても、ひげ面の裁判官はそういえば見たことがない)、弁護士はロン毛のお茶の水博士みたいな変わった髪型だし、検察官は机に座って熱弁をふるうし、そんな人絶対いないって(笑)
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鈍感力
2007 / 05 / 09 ( Wed )
 GWに、渡辺淳一の「鈍感力」を読んだ。
 中身そのものは、同じことがわかりやすくくり返し書かれている感じで、中学校あたりの教科書みたいだったが、言ってることはすごく分かる気がする。
 一般に、敏感であったり感受性が強かったりすることは、いいことのように言われているが、副作用というか、効きすぎて不便、みたいな面があることは否めない。デリケートすぎるものは扱いに困る。
 自分自身は、生粋のO型らしく、何事につけ大雑把だし、たいがいのことはどうでもいい。格別のきれい好きでもない。そのうえ、体もアレルギーなどほとんどなく、人一倍丈夫である。だから、そこそこの鈍感力は身につけているんじゃないかと思う。
 でも、逆に人一倍敏感に感じてしまうこともある。失礼な人は嫌いだから、関わりを持つことがすごいストレスになる。どうしても自分の腑に落ちないことはずっと気になってしまう。喜怒哀楽や感情移入が激しく、行動に直結する。もちろんそれらの「敏感力」がいい方向に働くこともあるけれど、気にしないでいられたらどんなに平穏だろうかと思うことも多い。
 あるいは、何かに敏感であるということは、他に気を配る対象がないからという可能性もある。聞いた話だが、地震で大変なことになった中学校では、不登校だった子どもも人が変わったように働き、それ以降ふつうに登校するようになったという。明らかに大きな葛藤が現れたことによって、小さな葛藤がどうでもよくなってしまったのは、納得できる結果だ。
 つまり、「敏感力」の弊害を克服する方法として、次のような方法が考えられるのでは。
 1.葛藤に慣れる。脱感作療法。
 2.葛藤に立ち向かう。具体的な解決の道を探る。
 3.別の葛藤に注目する。
 その人が何に「鈍感」で、何に「敏感」か見つめていくと、人柄が見えるような気もする。私も、どうでもいいことに揺るがない自分をもっと育てたいものだ。

 ところで、渡辺淳一といえば、恋愛小説。
 その昔、高校時代の私はちょっと変わっていたので、渡辺淳一を愛読していた。「失楽園」とかでブレイクする前だったのだが、同じような路線の濃厚な恋愛モノや、女性を描いた一代記のようなものにハマッていた。渡辺氏自身、非常に恋多き男性なのだろうと想像するが、恋愛こそ「鈍感力」なくしてできなかろうと思う。そもそも道理とか節度とか理性とか考え出したら、恋愛なんてできないのであり、そういうものに無頓着になれるぐらいおバカになってしまうのが恋愛だと思う。一生に一度の恋ならば、意識的にそこを突破することもできるだろうけど、恋多き人は、きっとそういうとこに「鈍感」なんだろうな。
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ゴールデンウイーク♪
2007 / 05 / 05 ( Sat )
 気球計画ホームページに、前回公演「eternal garden」のPHOTO LIBRARYと会場アンケートのQ&Aがアップされました!ちょっと日があいてしまったので、すでに懐かしささえ感じますが^^;)、どうぞご覧になってください☆

 また、今月から、気球計画ではワークショップを始めます。
 体や声に親しみながらていねいに基礎稽古を重ねていく、こじんまりとしたワークショップにしたいと思っています。ストレッチ、発声、インプロ、小作品を使った台本稽古など、楽しみながら続けていきたいと思いますので、興味のある方はぜひお越しください。初心者の方、演劇の稽古を体験してみたい方、歓迎します。参加費は無料です。
 今月は12日(土)・20日(日)の2回行います。時間はいずれも13:00〜17:00です。稽古場は、参加される方にお知らせしますので、下記アドレスよりどうぞご連絡ください。お待ちしています。
http://kikyu-keikaku.com/mail.htm

◇◇◇

 さてさて、世間はもっぱらゴールデンウィークである。前半の3日間は結局仕事に追われてしまったが、後半の4日間は遊びの予定ばっかり♪といっても、人ごみや待たされるのは嫌いなので、都心方面には出向かない。
 昨日は、うちの近くから出発している多摩湖自転車道をめぐるサイクリングに出かけた。この自転車道は、歩行者と自転車用にきちんと整備されていて、花や緑がとてもきれいなのである。いつか自転車で全部回ってみたいと思っていた小さな夢が実現☆
 だがしかし!数日前に私の自転車が盗まれてしまった!ひーどーいー。目につくところを探したし、盗難届も出したのだが、すぐには戻ってくる気配がないので、近所のドンキで新しい自転車を購入。どうしても行くんだもん。いざ、サイクリングへGO!

白い藤の花 お天気に恵まれて、サイクリングは最高♪
 行く道すがら、いろいろな花が咲き乱れていて、とてもきれい。中に、白い藤が満開になっているところがあって、ジャスミンのような芳香も漂い、とてもきれいだった。白い藤の花なんて、初めて見たよ。もちろん、紫色のもたくさん咲いていて、それはきれいだった。
 飼い犬を連れて散歩を楽しむ家族連れもいて、のどかな雰囲気を満喫した。

 しかし、この自転車道、行って戻ってトータルすると、30キロぐらいある。おまけに多摩湖近辺は山の上なので、けっこうな上り坂。そのあたりまで来ると、私たちのようにママチャリで山を登っている人はあまりおらず、細〜い自転車に乗った人たちがすごいスピードで追い抜いていくので、疲れるやらこわいやら。どうやら頂上らしいところは、なぜかナゾのホテル街になっていて、不思議な山でした。。。
 その後、西武ドームや西武園遊園地の横を走り抜けて、かなり疲れ果てて戻ってきたところ、なんと目の前に温泉が!おお!これは入るしかなかろう!ということで、いろいろなお風呂のある露天風呂や岩盤浴を満喫した。岩盤浴は初めてだったけど、すごいね。私はふだんあんまり汗をかかない方なんだけど、しばらく横になっていたら玉のような汗が!うんうん、悪いものが出ている気がする!いろいろな種類の岩盤浴があって、たっぷり楽しんだ。意外と家から近かったし、また行こうっと♪

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