カラダだから
2007 / 04 / 23 ( Mon ) スポーツクラブで、フィットネスプログラムを組んでもらった。
まず、でっかい体脂肪計みたいなのに乗せられ、カラダのさまざまなデータを調べられる。脂肪の量から、筋肉の量、骨の重さなどが出てきた。私の体はこういうもので出来ているのだなあと、当たり前のことをあらためて実感。 続いて、カラダのあちこちを採寸される。 私の担当をしてくれたのは、金髪のカワイイ若者だったが、容赦なくウエストから二の腕の太さまで採寸された。ああ、この若者と恋に落ちることは決してないだろう。。。(もともとないだろうけど) その後、カラダのデータや私の希望を踏まえてカウンセリング。日ごろから肩こりがひどいことや、疲れると腰痛に襲われることなども話して、トレーニングメニューを組んでもらう。マシンの使い方を教わりながらひと通りメニューを回り、最後にストレッチ。ストレッチポールという円柱を用いて、その円柱のうえに寝転がって背中を伸ばすのだが、これがなかなか気持ちいい。そんなこんなで、気がつけば、最初の測定からすでに3時間がたっていた。ああ。。。いいカラダをキープするって大変なのね。。。 それにしても、みんながそれぞれマシンを使って走ったり筋トレをしている光景というのはなんだかおもしろいね。ストレッチも、はたから見たらずいぶんあられもない格好だろうし。人間のカラダは、どうしてこうまでしないと運動が足りないようになってしまったのかしら。ここまでみんな足りないのなら、もともと運動不足が標準レベルのカラダに進化してもいいような気がするんだけど。少ない運動でも、効率よく脂肪を燃やして、健康でいられるような肉体。でも、そうするとますます人間は死ななくなって、地球上は人間であふれてしまうんだろうな。 ともあれ、せっかく組んでもらったトレーニングメニュー、やらないことには意味がないので、来月の効果測定までにできるだけ続けて、がんばろうと思う。 |
落とし前
2007 / 04 / 17 ( Tue ) 最近、よく本を読んでいる。もともと本を読むのは好きだけど、ここ最近はどうしても次の芝居のテーマに関するものとか、調べ物とかが多かったので、読みたい本を好きなように読めるのは楽しい。落ち着いた自分の時間が持てている証。
それから、劇団が忙しくなって辞めたスポーツクラブにも再入会した。体力と美容のために、運動しようと思う。 「嫌われ松子の一生」を読んだ。映画やドラマにもなったが、私は本でしか知らない。これを映像にするとどんなものになるのか、あまりいい想像はできないので、見るつもりもない。 読んでいて、暗鬱な気持ちになった。それなのに、松子の生きざまから目を離すことができず、貪るように読んでしまった。読みながら、なぜだか松子が自分にひたりとシンクロしているような気がして、ぞぅっとした。松子が暮らした土地が、自分の生活圏内に近いせいなのか?時々本から目を離して、「松子じゃない、松子じゃない」とつぶやいてしまうほど。いや実際に、私は松子のような経験はないんだけど。 もともと美しくて賢くて優しかった松子が、どうしてあんな辛酸を嘗めなければいけなかったのか。たしかに、節目節目における彼女の選択は、往々にして場当たり的で、浅はかであった。でも、もっと愚かでも冷たくても、人並みに生きている人はいくらでもいる。ラストでは、彼女の死にざまが脳裏に浮かんできて涙が出た。彼女は、あんな死に方をしなければならないほどの悪行をしでかしたのだろうか? でも、こうも暗鬱な気持ちになるのは、どこかで「然ればよ」と納得できてしまうからなのであった。彼女の行動はあまりに典型的に過ぎるとは言え、浅はかながらも理に適っているのである。彼女は、自分を必要とし、愛してくれる人間を切実に求め続けた結果、数々の辛い現実に直面することになった。動機と結果のギャップがあまりにも大きいのである。でも、こういうことはしばしばある。ジャンクションにおける小さな認知のずれが、積もり積もって自分をまったく別の目的地へといざなってしまうのだ。でもふつうは、あそこまでできない。「このままじゃいけない」とか「そろそろ潮時だ」とか、どこかで踏みとどまるものだが、彼女の真面目さや能力の高さが、どこまでも初志を貫徹させてしまう。 昔、子どものころ、テレビで五社英雄の「吉原炎上」を見て、圧倒されたことがあった。ま、当時はラブシーンの刺激が強すぎたせいもあったのだが、名取裕子演じる若汐が最後に恋人の身請けよりも花魁道中を選んだ姿が、なんとも印象的だったのである。いつもよくない方の男に流されていく松子と、逆に好きな男と生きる道より花魁道中を選んだ若汐。正反対のようだけれど、私には2人は同じものに映る。2人とも、「こっちを選べば幸せになれるのに!」という選択肢を決して選ばないことである。最後に誠実な旦那を選んで吉原から身を引いた若汐も、吉原に火の手が上がったと見るや、旦那の手を振りほどいて好きな男のもとに駆けつけてしまう。自分がその男を捨ててきたにも関わらず、である。松子に至っては、本当は彼女は「嫌われ」松子なんかじゃなく、彼女を愛してくれる人もいたのに、ことごとく危うい道を選んでしまうのだ。そこが、「どうして!」と同時に「然ればよ」なのである。 私は、それはある意味「落とし前」なんだと思う。 一般的に見て「幸せになる」ことよりも、自分が負ったものに対してしっかりと「落とし前」をつけることの方が先に立つのだ。 彼女たちは、自分を見舞った運命に対して、「落とし前」をつけずにはいられなかった。若汐にとっては、吉原の頂点に立つことによって、望まずして遊女になった運命に「落とし前」をつけること。松子にとっては、どんな目に遭っても男にひたすらついていくことによって、「愛されなかった自分」に「落とし前」をつけようとしたのではないか。だからこそ、裏切られたと知ったとき、彼女はいつも最悪の暴挙に出るのである。それは、愛されていなかったことを認めざるを得ない瞬間だからである。 読みながらぞぅっとしたのは、そういったところに妙に共感できてしまったからであった。いや、私の認知は、今はまだそこまでずれてはいない。でも、自分と彼女たちとの間にどれほどの距離があるのかは分からない。 以前、壮絶な恋愛遍歴のあげくに仏門に入った女性がこう言っていたそうである。 「おなごはんはなあ。選べば選ぶほど、末はあかん男を選ぶようになります。女の業っちゅうもんやろか」 この物語を読んで、その言葉がふと頭をよぎった。たしかにそういうものなのかもしれない。 まあ、だからといって、その人が不幸かどうかは、また別の話だが。 ともあれ、今夜は松子に合掌。。。 |
休日
2007 / 04 / 14 ( Sat ) 待ちに待った休日♪うわ〜い。一週間、長かった!平日の緊張感が高いほど、休日のありがたみが増大する。しかもあったかくていい天気じゃ〜!
昼間、芝居を観に、一人でふらりんこと池袋のシアターグリーンへ。 LIVESの「せんせい」を観た。 いや〜。これがまた。すばらしかったよ。 もともとここの芝居は好きなんだけど、構成も設定もオーソドックスといえばオーソドックスなんだけど、なんというか、底に流れる空気がすばらしいのだ。人間の素敵なところも、しょうもないところも、いやというほどにじみ出ていて、最後に救われるのだ。私は客席で人一倍大笑いして、最後には人一倍泣いていた。 舞台は、とある高校の職員室。今日を最後に定年退職となる真野先生のために、生徒たちと先生たちはサプライズイベントの企画に余念がない。そこに、次々と現れる昔の教え子たち。ところが、それぞれが語る真野先生像は、現在の影の薄い真野先生からは想像もつかない姿だった。 公演は明日までなので、具体的なことを書くとネタバレになってしまうが、真野先生が、どのように自分の教育方針を変えながら、教師生活をまっとうしてきたのか、何を大切に思い、どんな痛みに耐えてきたのか、それが次第に見えてくる。昔の面影を残しながら、逞しくも今に至っている教え子たちの姿を前に、真野先生の最後の表情は優しい。人生は思うに任せぬことも多いけれど、「・・・なんでもいい。元気でいてくれれば」という言葉に愛を感じた。何者であろうと、何者でもなかろうと、自分を認めて応援してくれる人がいる限り、人生捨てたものではない。ラストシーンで暗転したとたん、カーテンコールの明転を待たぬうちに、客席からは拍手が巻き起こった。私も拍手をしつつ、「もしもこのあとにまだシーンが続いたら!?」とちょっとドキドキしたけど、ちゃんとそこで終わりだったのでホッとした(?)。 自分の学生時代を振り返っても、「せんせい」の記憶というものはやはり大きいなと思う。何を習ったかなんて大半はもう忘れてしまったし、微分・積分の計算なんて今じゃ全然できないけど、教えてくれた「せんせい」のことは、今でもはっきりおぼえている。好きな人も苦手な人もいた。私はあまり先生になつかない子どもだったけど、小学校から高校まで、担任の先生の名前は全部おぼえている。 高校1年の担任だった○百板先生は、若かったけど、真面目を絵に描いたようなきっちりとした先生だった。私の中では今でも伝説の先生。古文のおもしろさを教えてもらった。 高校2年の担任だった○梅先生は、どこか世を達観したような飄々とした先生だった。授業も本当に適当だったけど、今では行政のかなりエライ人になっている。一度だけ、私の芝居を褒めてくれたことがあったけど、私のことを見ていたのなんてあの時だけだったんだろうな。 高校3年の担任だった○川先生は、ドライな雰囲気の英語の先生だったが、なぜか授業中上半身裸になっていた男子生徒を注意するとき「○○くん!上着を着なさいっ!」と声を裏返していたのを今でも思い出す。 ・・・思い出すことといえば、どうでもいいようなことばかりなんだけど、でもやっぱり先生の影響って大きかったと思う。黒板に書くことよりも、テストに出ることよりも、もっと多くのことを教わっていた。進路を決めるとき、応援してくれた先生、もう一度よく考えてみろと言った先生。転校したとき、担任でもなかったのにわざわざ電話をくれた先生、言葉は少なかったけれど見守ってくれた先生。 何がどう影響するか、答えはずっと後に出るとしても、そういうたくさんの関わりがあって、たしかに今の自分がある。 たくさん泣いたので眠くなってしまったが、夜は芝居がらみの知り合いに連れられて、下北沢のライブハウスへ。 女性ボーカリスト3人のセッションだったが、華やかで、眠気を吹き飛ばすだけの勢いがあった。パワーのある女性は魅力的だなあとあらためて思った。芝居もそうだけど、ソロで歌うならなおさら、生だからごまかしは効かない。ただちょっときれいだとか、ちょっと歌がうまいとか、そういうことでは光らないのだ。特に女性の場合は、愛嬌と強さのバランスが大事な気がする。それもごわごわとした強さじゃなくて、しなやかでしたたかな強さがいい。 そんなこんなで楽しめるライブだったが、唯一残念だったのは、会場に小さな子ども連れがいたこと。その子たちが、騒ぐこと騒ぐこと。いや、そりゃあ子どもにとっては大人のライブなんて退屈だろうから、子どもに罪はないんだけど。お母さんもずっと怒ってて、しまいには「お母さんの声が変わってるのが分からないの!?」と脅迫めいたことを言っていたが、こんなところで静かにしてるのは無理だって。ライブに限らず、最近は居酒屋に子どもがいるのももはやよく見る光景になってしまったが、私は親の神経を疑う。結局、大人がしたいことに子どもをつき合わせてるだけで、子どもにとってのメリットはないんだよなぁ。 そんなこんなで、休日を満喫した一日でした♪ もう一日、明日ものんびり楽しもうっと。 |
ともだちシリーズ
2007 / 04 / 10 ( Tue ) 私は絵本が好きである。
テキストの物語性と、いかにも物言いたげな絵がマッチングしたとき、たくさんの言葉よりもずっとシンプルに世界を伝えてくれるから。 最近私の好きな絵本に、「ともだちシリーズ」がある。作:内田麟太郎氏、絵:降矢なな氏による、子ども向けのシリーズものの絵本である。最近の絵本の中ではけっこう有名な、売り出し中の絵本だから、知っている人も多いかもしれない。 第1巻「ともだちや」は、さみしがりやのキツネが、どうしても友達が欲しくて自ら「ともだちや」と称して森を行く。キツネに声をかける中には友達になれそうな相手もいたが、みんな自分勝手でやがてキツネを放り出す。しかたがない、「ともだちや」なのだから。しかし、最後にキツネを呼び止めたのは、森一番の暴れ者、おおかみだった。やはり孤独だった強がりなおおかみは、「ともだちや」としてキツネを求めたのではなく、本物の友達としてキツネを求めたのであった。かくして2人は無二の親友となる。 シリーズの中で私が最高に好きなのは、「ありがとうともだち」。キツネが初めておおかみのところにお泊りした夜、なかなか寝付かれないキツネにおおかみは海のことを語りだす。語るうちに、カジキを釣り上げたこともあるなんてホラを吹いてしまったのはまあご愛嬌だったのだが、ともあれ2人は翌朝海釣りに出かけることになった。 キツネは初めて見る海に大興奮して、小さな魚を釣り上げては喜んでいる。しかし、おおかみの釣竿には雑魚一匹かからず、しだいにおおかみはイライラして、「お前がそうやって騒いでいるから魚がみんな逃げてしまったのだ」などと言いがかりをつけ、あげくにキツネの獲物が入ったバケツを蹴り倒してしまう。しかし、2つ目のバケツを蹴る前におおかみは思いとどまり、小さな声で言うのだ。 「・・・ごめんな。カジキが釣れなくて」 そのときの、キツネの言葉が最高なのだ。私がおおかみならば泣いてしまう。 そしてどのシーンも、絵が2人の様子を生き生きと描いていて、素晴らしい。 初めてのお泊りで、妙に緊張しているキツネもかわいいし、そのキツネを楽しませようとおおげさに海の話をするおおかみもかわいい。 海を見て興奮しているキツネもかわいければ、釣れなくてイライラしているおおかみもかわいい。おおかみは、きっとどうしても見せてあげたかったのだ。カジキを。あっと驚かせて、大好きな友達が興奮して喜ぶさまを見たかったのだ。 荒れ狂うおおかみに恐れをなしているキツネもかわいい。そのキツネの頭に、小さなたこが乗っかっているのもかわいい。海を指差すキツネの、少し日に焼けたような満面の笑みもまたいいのだ。キツネは、はじめからおおかみを許していたのだ、なぜなら、おおかみのことがとても好きだったから。おおかみと一緒にいる時間が、とても幸せだったから。 少ない言葉で、こんなふうにメッセージを描けたら、すばらしいよなあ。 ある意味では、芝居も同じかもしれない。 テキストでは描けないニュアンスを、役者が表現する。 ま、そうは言っても、私の場合、いささか脚本がしゃべりすぎてしまうのだが。。。^^;) 仕事の合間などに、こんな絵本を読むと心が安らぎます。おすすめ。 あ、ちなみに絵本といえば、心待ちにしていた「リサとガスパール にほんへいく」の日本語訳バージョンが先日発売になりました。これもまたかわいい。ウォッシュトイレにびっくりしたり、おはしをうまく使えなくて両手に一本ずつ持ったりしている姿もたまりません。ファンの人は必見☆ |
異動
2007 / 04 / 05 ( Thu ) 今週から新しい職場に通い始めて、今日で4日目。まだ4日。もう4日。もちろん緊張で疲れる4日間だったけど、夜はまっすぐ家に帰っているので、ある意味健康的である。4日間連続飲み会がないなんて、いったいいつ以来だろう。まあ、今までがどんだけ飲んでんだ!って話ですが;;家に帰ってからも時間に余裕があるし、本当に久しぶりに連日12時前に寝ているので、お肌の調子もすこぶるよいですぞ。
別に転職したわけじゃないんだけど、ところ変われば文化も変わるもので、今は違和感を感じることしきり。まあ、そのうちこれが当たり前になっていくんだろうけど。 相違点その1『みんな帰りが遅い!』 新しい職場はなぜだかみんな帰りが遅い。今日だって、けっこう遅くまでいたんだけど、私が帰るときにはまだほとんど全員職場にいた。なんなんだ、ここは〜!みんな、職場に住み込んでしまえばいい! しかし思い返してみると、7年間勤めた前の職場に異動したばかりのころ、あまりにもみんなの帰りが早くて、最初の3日間は連続最終退勤者になってしまい、それはそれで驚いたのだった。 そして、初めて勤めた職場には気の短い警備員さんがいて、帰りの遅い上司を怒鳴りつけていた。ま、その警備員さんはいまだによき友達なのだが^^;) この数年の間に、それほどまで帰りが遅くなるとは、仕事の中身が変わってきたのだろうか?たしかに煩雑なことは増えた気がするが、みんなそろって朝から晩まで働かなきゃならない仕事って、システムそのものを見直したほうがよくない? 私自身は、仕事は好きだし、「できません」とは言いたくないので何でもやろうと思っているけど、仕事の能率は重要だと思う。少なくとも、仕事と親睦はきっちり区別したい。どうせ遅くなるなら、仕事をちゃっちゃと片付けて、一緒に居酒屋に飲みに行きたい。 相違点その2『打ち合わせが細かい!』 まあ、これは前の職場があまりにもアバウトで、「なんとなく」「ツーカーで」「いつもどおりで」「臨機応変に」といった雰囲気でやってきたせいもあるのだが、新しい職場は会議が多くて時間が長い。「そんなことまで?」というような細かいことまで話し合う。私などはいいかげんなので、途中で「どーでもいいじゃん、そんなこと」と言いたくなってしまうのだが、もちろん黙って聞いている。話を聞きながら、細かいところまで詰めようとすればするほど、さらにもっと細かいところが気にかかるもんなんだなあと、妙に納得。そして、すべてを完全に共有することの難しさを実感。難しさとメリットのバランスもあるわけで。共有するということは、何よりもまず信頼関係によって立つのかもしれない。 もっとも、分かり合ってるつもりが、実は伝わっていなかったというのはよくあることなので、しっかり確認しておくことは決して悪いことではない。 さて、ところは変われど、私の仕事は基本的にひとり職種である。つまり、ひとつの職場にたいていは一人しかいない仕事。もちろん他の人たちと協力しながらやるにせよ、自分だけでやる仕事もたくさんあって、特に年度当初は孤独な仕事に追われる。十数年前、なりたてのころはそれが辛かった。夜遅くまで、自分だけの仕事を一人でしていると、悲しくなって泣いたりしていた。 今回異動して、まだ周囲の人との関係ができていない中で、久しぶりにその孤独感を思い出している。もっとも、一人で涙ぐむような可愛らしさはない。なぜなら、当たり前のことだが昔に比べたら仕事の手際がよくなっているし、誠意を持って仕事をしていれば、周囲との関係はいずれできていくことを知っているからだ。 孤独は、いろいろなことを教えてくれる。自分の本分は何か、本当に伝えたいことは何か。職場の仲がいいから、やりやすい環境だから、それをやるのではない。やるべきことはやるべきだし、それをするのが仕事だ。たとえすぐにできなくても、意志や想いは伝えておくべきなのだ。この4日間で、私はそんなことを学んだ。孤独は重要である。安易に孤独を紛らわしたりせず、向き合う勇気を持ちたい。仕事だけじゃなくて、プライベートの人間関係でもおんなじかもね。 今日、新しい職場に、私の尊敬する仕事の先輩からお花が届いた。うれしかった。このお花に見守られながら、職場に慣れ親しむまでもう少し、がんばろう。 |
お花見in井の頭公園
2007 / 04 / 02 ( Mon ) 実は、この4月から職場を異動することになった。
7年ぶりの異動。 あっという間だったけれど、ていねいに思い返せば本当にいろんなことがあったなぁ。 7年の間にも、いろいろな時代を経てきたような気がする。 私にとっては、なんだかんだと居心地のいい職場だった。自分のキャリアの中でも重要な時期をここで過ごして、本当にたくさんのことを勉強させてもらったと思う。仕事がらみでも、私は本当にまわりの人に恵まれてきたなぁとあらためて思う。 ・・・と感慨に浸るべく、一昨日の最後の出勤日までにきっちり異動の準備を終えているはずだったのに、これが全然終わらないでやんの! 片付けても片付けても物があふれ出てくるし、あれもやってなかった、これもやってなかったと後からいろんなことに気がついて、この2週間ほどは本当に時間との戦いだった。7年の間に、知らず知らずしわ寄せがたまっていたらしい。ああ、哀しいO型・・・ふだんが適当なだけに、いざきちんとしようと思うとあちこちにぼろが出る。A型なら、もう少しふだんからきちんとやっているだろうに。 そんなこんなで、明日には後任者が来て部屋を明け渡さなければならない今日になっても、まだ最後の片付けに追われていた。マチネに観る予定だった芝居をソワレに変えてもらい、時間ギリギリまでかかってようやく終了。時間がないから去り際もバタバタして、本当に何の余裕もなく長年勤めた職場を後にする。 芝居を観た後、リバーサイド殺陣教室のお花見で井の頭公園へ。私が着いたころにはもうだいぶみんな出来上がっていたが、それでも満開の桜の下で飲んだビールのおいしかったこと。今日は、淑江さんが手料理を持ってきてくれていて、これがまた本当においしかった♪ ![]() 井の頭公園でアゴの亡霊に襲われる と、思う間もなくバラバラと雨が降り出して、居酒屋へ移動。しばらく飲んだけど、今日は途中で帰った。飲み会を抜けるぐらいだから、今日の私は私なりに緊張しているのだろう。明日からは新しい職場に出勤。知ってる人は誰もいない。私の仕事は毎年誰かしら異動があるので、受け入れる側にとってはそれほど緊張感はないのだが、いざ自分が異動する側になると、今まで異動してきた人たちがどれだけ緊張して最初の日々を過ごしていたのかを想像する。異動は初めてじゃないのに、そのときのリアルな気持ちというものは、いつの間にかすっかり忘れ去っている。帰り際に、殺陣教室のみんなが「がんばれ!」と励ましてくれた。新社会人というわけでもないのにちょっと大げさな気もしたが、やっぱりうれしかった。うん!がんばるよ! それはそうと、井の頭公園の帰り際。 もうみんな帰る時間だったので、ゴミ捨て場にはゴミが山のようになっていた。今日は昼からいっぱいだったというから無理もないが、なんと飲み会の場所をまったくそのままに、ゴミの始末さえしないで立ち去っているグループ発見!ひどいねぇ。ゴミ捨て場すぐそこなのに。桜の美しさに失礼だよ、これじゃ。 ![]() こんな祭りのあとはいや |
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シリーズの中で私が最高に好きなのは、「ありがとうともだち」。
