傍聴日記☆10.30
2006 / 10 / 30 ( Mon ) 昨日の殺陣の影響で、起きるなり体中がミシミシときしみ、終始そろそろと動いた一日。
とは言え、今日は貴重な休日休み。こんな日を有意義に使うには、やはり裁判の傍聴に限る。ということで、物好き傍聴マニア、霞ヶ関へ出発☆ 今日の東京地方裁判所は、朝からやけに混んでいた。なにかな?と思ったら、ホリエモンと、ファイザーの小嶋社長の公判があるとのこと。なるほどね。もちろん傍聴券の倍率高そうだし、テレビで分かる裁判を見てもしょうがないので、そんなところは素通りする。 今日傍聴した公判、大きなものは3件。 1件目。傷害致死の新件。 新件なのに予定時間が2時間もとってあったので、なにかな?と思い、傍聴する。被告人はまだどことなく幼さの残る22才の男性。起訴状を聞いて事態が飲み込めたが、被害者はこの男性の実の母親なのだった。要するに、家庭内暴力が昂じて、ついに死にいたらしめてしまった事件。 暴力の中身は、聞いてて顔が歪むほど、ひどいものだった。「胴体に対する暴力が、命に関わるとは思わなかった」と言っていたが、どうすれば自分の親に肋骨が全部折れるほどの手加減ない暴力を加えることができたのだろう? しかし、何となく違和感を感じたのは、被告人の態度。自分の犯した事件の重さを感じているのかいないのか、よく分からないほどぼーっとしている。情状証人として呼ばれていた友達も同様で、なんというか現実味が乏しい感じ。 友達の証言。「事件のことを聞いたとき、あなたはどう思いましたか」と問われて、「やっぱり、やっちゃったか、と・・・」と答えていた。やっぱりやっちゃった!?びっくりしなかったの?「なんか勉強ばっかりして友達とも会ってないみたいだったから、そういうストレスって親に来るのかなーって」はぁ。。。「こういう事件を起こしてしまった友達に対して、どう思いますか?」と問われたときには、「ばかだなって」「これから大変だなーとか・・・」一番の親友だというのに、この他人事感はなんなんだろ?情状証人としての役割はあんまり果たしていなかったなぁ。 のれんに腕押しみたいな、なんとも実感を伴わない後味の悪さ。聞けば、この被告人の父親は、10年あまり前から寝たきりで、母親はその介護も続けていたらしい。そんな苦労をした挙句に自分の息子に殺されるなんて、割に合わないよ。瀕死の母親は、亡くなる直前に、息子に「さよなら」と言い残したそうだ。解剖に当たった医師によると、そんな余力があったはずはないそうなのだが、事実にしても妄想にしても、最後に聞いた母親の言葉が「さよなら」だなんて、なんとも耐えられない。 2件目。準強姦の新件。 準強姦というのは、眠らせたりして相手を意識不明の状態に陥れてから強姦に及んだ場合で、罪の重さは強姦と変わらない。早大その他の学生が大勢つかまったスーパーフリーの犯人たちも、罪状は準強姦だった。 今日の被告人は、出会い系サイトで知り合った女性を、写真撮影のモデルになってほしいと言って自宅に誘い込み、薬を飲ませて眠らせ、強姦したとのこと。最低。被害者より加害者が悪いのは大前提だけど、でもやっぱり、初めて会う人の家にいきなり入るなんて危険だよなぁ。出会い系恐るべし。 しかし、何よりびっくりしたのは、どう見ても45歳ぐらいに見える被告人が私より年下だったことだ。ひぇ〜〜〜、人は見かけによらないなぁ。 3件目。青少年の健全な育成に関する条例違反の新件。 今日見た中では、これが一番首をひねりたくなる事件だった。 法廷に入ったときから、弁護人が被告人を背後から励まして、笑い合ったりして、なんだか雰囲気が微妙。傍聴席には、見るからにコワイおじさんたちがズラリ。被告人が組関係の人だということは一目で分かる。実際、こういう裁判のとき、援護射撃なのか監視なのか分からないけど、傍聴席には決まって大勢のヤクザさんたちが並んでいる。こういうときの結束力というか、仲間意識はすごいものがある。 公訴事実は、34歳になる被告人が15歳の少女と性交渉に及んだというもの。条例では18歳未満の者と、婚姻などの正当な理由なく性交渉に及んではならないことになっている。この被告人は、もちろん相手が15歳だと知りながら、関係を続けていたわけだ。ところが、被告人は起訴状が読み上げられた後、鼻で笑い飛ばしてこう言った。「彼氏・彼女の関係だったのに、エッチして何が悪いんですか?」そして、弁護人も、「2人の間には恋愛感情を伴う関係があったのであり、無罪を主張します」と自信満々に言った。 こういうケースは、実際には珍しい。公訴事実に対して、真っ向から無罪を主張するケースなんて、ドラマではよくあるけど実際にはほとんどないのだ。 「恋愛」における性交渉の可否が、18歳という年齢だけで判断されるべきかどうかは、たしかに私も考えてしまうが(実際にはつかまえなきゃならない人たくさんいるんじゃないのか?)、この被告人は、15歳の「彼女」に売春をさせ、ショバ代を巻き上げていたらしい。そういう「恋愛」関係ってあり?大人の女性ならともかく、15歳の女の子だよ。そもそも「恋愛感情」ってなにさ。「彼氏・彼女」ってなにさ。少なくとも彼女に売春させるような男に、恋愛を語る資格はない。 何より頭に来たのは、弁護人の男。法律をどうかいくぐるつもりか知らないけれど、15歳の少女にそんなことさせてる男の肩をよく持てるよなぁ。まあ、それが仕事なんだろうけど。でも、法律がどうとかじゃなくて、人間としておかしいでしょ?仮に恋愛だったとしても、売春させてたり、お金巻き上げたりしてたのは、どう言い訳するのさ。法廷での態度も、なんとなく人を馬鹿にしている感じで、誠意が感じられなかった。本当に無罪だと思うなら、せめて真摯に訴えてほしい。 そして、この公判は、きっと被害者の少女のことを配慮してだと思うけど、裁判官も検察官も女性だった。もちろん仕事だから性別は関係ないとしても、こういう法廷の中で、ヤクザな仲間たちの目線にさらされながら公判を進めるのは大変だろうなぁと思った。でも、がんばってほしい! そんなこんなで、今後も成り行きが気になる裁判である。どうなっていくのかしら。 今日もまたどっと疲れたけれど、傍聴はやっぱり特別な時間。 お昼休みは、日比谷公園でのんびりした。紅葉が始まりかけていて、日差しがちょうど心地よくて、ベンチに座って本を読んだ。まわりの建物があれやこれやと世知辛いことに満ちているだけに、まさに都会のオアシスだよなぁ。。。 |
武士への道のり
2006 / 10 / 29 ( Sun ) 今朝、目覚めたら12時過ぎていた。
ぎゃー、寝坊!! 今日は下北沢でマチネの芝居を観るのに! あわてて支度をして、ギリギリ前説中に劇場到着。駅から近いリバティでよかったわ。 おなか空いたけど、終演までがまんしよう。。。 と、思いきや、ぎゃー!!お金がない!なぜか財布に紙幣が一枚もなかった;; 小銭だけで2000円あったので、かろうじて入場料を払う。受付ではけげんな顔をされたが、ともあれ足りてよかった。小金持ち万歳☆ 今日観たのは、SPIRAL MOONの落合さんが出演する即興集団E.D.Oのライブ。こういうのを舞台で観るのは初めてだったが、おもしろかった。 その名のとおり、すべて即興で創る舞台なので台本はない。客席から出された言葉やテーマを使って、4人の演者がその場でシーンを展開する。気球でも、基礎練の中でインプロをすることがあるが、見世物としてやるのはかなり高度だなあ。 演目のひとつ、「ペーパーズ」では、客が自由に言葉や台詞を書いた紙を、その場で広げながら、シーンに生かしていく。もちろん、それによって展開そのものが変化していくこともある。私が書いた「えんぴつ」は、しまいには核爆弾のスイッチになっていた。このように否応なく、客席も巻き込まれていくのが、即興芝居の魅力でもある。しかも、今日の舞台では音響・照明の人ももちろん即興。その場でエレクトーンを弾いている人もいて、シーンに応じた音を即興で弾いているではないか。突然火曜サスペンスな事態になれば、ちゃんとその効果音が出てくるし。いやはや、すごい☆ これだけの見世物をやるには、演者同士の信頼関係や、自分の考えにとらわれない柔軟性が必要だし、どんなお題が来るか分からないってことは、何にでも対応できるだけの知識も必要。頭悪かったらできないなぁ。昔、祖父が「落語をやる人は何でも知っていて、ものすごく頭がいいんだよ」って言ってたけど、ちょっと通じるものを感じた。 ![]() その後、殺陣教室まで少し時間があったので、下北でごはんを食べる。ごはんは、前にも行ったことのあるお気に入りのカフェで食べた。とってもおしゃれなカフェなのに、ごはんは和風でおいしい。とてもまともなものを食べている気分になれる。こういうのを自分で作れればいいんだけど。 店を出てから、下北の街をぶらぶら歩いた。下北は、新旧いろんなお店が共存していて、おもしろいなぁ。繁華街を外れると、意外とすぐに住宅街だし。 夜は殺陣教室へ。 今日の稽古場は、高井戸地域区民センターだった。ここの体育室は広いので、他の団体と分け合って使うことになる。今日のおとなりは、卓球のグループ。おもしろかったのは、そのおとなりのパラパラのグループ。10代と思しき女の子たちが、8人ぐらい集まって、鏡を前にパラパラの練習をしていた。着ているものも髪型もみんなそっくりで、パラパラだから動きも全員そろっていて、なんだかちょっとおもしろい。そして、こちらの男性陣が、微妙に気を取られているのがまたおもしろい。さらにそのおとなりは、私たちと同じ殺陣をやっていた。他の殺陣教室と稽古場が一緒になると、赤池師匠の目がいつも以上にキラリと光る。今日は、いつものメニューのほかに、久しぶりにマット運動をやった。もともとマット運動が大の苦手な私は、前転・後転で首筋を痛め、受身の稽古で全身打撲で死にそうになった。いったいぜんたい、上達する日は来るんだろうか。。。^^;) 殺陣の稽古では、難しい立ち回りをやった。特に、木刀を2本使った立ち回りは難しかったが、とてもおもしろかった。毎回、自分のドンくささを恨むが、これがばっちり決まったら、絶対カッコいいよなぁ。 それにしても、昔の武士は、食べるものがなくても刀だけは大切に磨いて、いつ戦になっても活躍できるように備えていたわけだよなぁ。闘うのが仕事、人を斬るのが仕事。仕事であるからには、もしかしたら自分の方が斬られる可能性もある。そんな職業ってすごいよなぁ。まさに武士道。でも、そんなふうに人の命が失われるとしたら、命の意味合いも、今とは少し違っていたのかもしれない。それは、命の重さが軽かったとかそういうことではなくて、命のかけがえのなさは今と変わりがないにしても、それが失われることについての意識のもち方が今とは違ったんだと思う。そう言えば、戦国時代の出生率って、どれぐらいだったんだろうか。。。? そんな雑念に駆られながら殺陣をやっている私は、まだまだ武士にはなれそうもない;; |
ルーツ
2006 / 10 / 25 ( Wed ) 怒涛の5日連続飲みが終了。いや、もちろん日中は仕事や別の活動をしてるけど、夜はほんとに飲む機会が多い。いくら飲むのが好きだと言っても、日曜日の殺陣飲み以外はなんだかんだと頭や気持ちを使う飲みだったので、さすがに疲れましたわ。朝は、泥沼からマグロを水揚げするような(?)気分だし。今日は久しぶりに家で夕飯を食べる、静かな夜。明日の目覚めもきっとさわやかだろう。
公演が終わると、親と飲むことが多い。「今回の芝居は、今までと雰囲気違うからね」とあらかじめ念押ししておいたのだが、両親ともに今までの作品の中で一番気に入ってくれたようなので、意外だった。脚本上とはいえ、娘が人前でセックスセックスと連発しているのは、親としては複雑な心境なのではないかと思ったが、別にそうでもなかったらしい。うちの両親に限らず、今回の公演が意外と年配の人に受けがよかったのは、想定の範囲外だった。 私の生みの両親は、今はそれぞれ別の伴侶を得ているが、いつもそれぞれ夫婦で私の公演を観に来てくれる。芝居の感想を肴に飲み始めるが、だいたい話はいつも兄や私が幼かったころに戻っていく。幼いころから今に至るまで、私はなんだかんだと私を愛してくれる人たちに囲まれていて、幸せ者だなあと思う。まあ、そう思えるまでには本当に長い確執があったのだけれど、その確執の間にも、私を愛するためにどんな忍耐をしていたかと、そのあたりに思い至れるようになった。ごく最近。 おととい、母夫妻行きつけのカラオケスナックに、一緒に行った。年配のママがやっていて、お客さんもみんな60は越えていようかという人ばかり数人。ひとりで来ている人もいて、知らない者同士、飲みながら歌を聴いたり、拍手をしたりする。私たち世代ではまず行くことのないお店だが、銭湯とか、山登りで会う人とか、ああいった感じの他人同士の人付き合いがある。昔は、こういう人付き合いがもっと一般的で、必然的に生活の中にあったんだろうなあ。現代は、すべて個別に事足りて、必然的な他人との関わりなど必要ない時代。カラオケは、もちろんカラオケボックスだし。そんなことを考えつつ、久しぶりに歌ってみたら気持ちよかった。母夫妻も楽しそうで、浴びるほど飲んでしまった。 昨日、新宿で父と会った。父はよく飲み、よく話す。ひとつネタを振ると、100倍ぐらい話が返ってくる。次回公演のテーマにしようかなと考えていることを漠然と話してみたら、おもしろい話がたくさん出てきたので、忘れないようにメモしながら聴いていたら、これまたうれしそうに鼻をぴくぴくさせながら話していた。こういう表情は、ものすごく父親譲りだなあと思う。父は、演劇とは全く無縁な人だけど、話しているときはやたらにオーバーアクションで、役者っぽい。 そういえば驚いたのは、あれほどヘビースモーカーだった父が、禁煙していたことだ。やればできるじゃないか〜。そして不思議なのは、あれほどデジタルな人間なのに、電車に乗るときなぜかいつも切符を買うことだ。suicaぐらい持てばいいのに、何度言っても変わらない。 自分の親と、こういう関わりが持てるのも、いつまでかなあ。 今のうちに、吸収できることはたくさんしておかなくちゃ。 そして、亡くなるまでに自分が返せることはなんだろうか。 |
邂逅に想う
2006 / 10 / 22 ( Sun ) theatre111最終公演「邂逅の扉」を見に行った。小屋は築地本願寺のブディストホール。お線香の香に誘われる劇場というのも、なかなかオツなものだ。
この劇団は、座長の中田氏を中心に活動されてきたが、今回公演をもって10年間にわたる演劇活動に終止符を打つとのこと。はや5年ぐらい前になるが、気球計画を立ち上げる前、よその劇団に学ばせてもらっていた頃に、一度稽古場を見せていただいたことがある。そのころは、時代物の熱い芝居を創っていた。今回は現代劇だったけれど、やはり男性らしいアグレッシブな要素をたくさん盛り込んだ作品だった。 パンフレットには、劇団解散に当たっての中田氏のコメントが載っていた。10年にわたる活動に区切りをつけるのは、どんな思いだったのだろうと考えた。うちなんかまだその半分の5年目だけど、それでも本当に多くの出会いと別れがあり、いろいろな山を乗り越えてきた。劇団だから、芝居をやることそのものは喜び以外の何物でもないが、人間関係を主体に創る表現活動だけに、常にさまざまな問題はつきまとう。この劇団も、きっといろいろなことがあったと思う。でも、継続と決断の結果、今日という日を迎えたことはむしろ祝福すべきことだと思ったし、役者さんたちの感無量の表情が、まさしくそれを物語っていた。今日は、まさに最終公演の千秋楽、私はその場に居合わせることができてよかったと思った。 客出しのロビーで、あかりちゃんに遭遇する。やあやあやあ。 あかりちゃんは彼氏と一緒に来ていて、劇場を出てから3人でお茶をした。あかりちゃんの彼氏は本当に好青年で、話していて楽しかったし、あかりちゃんが安心して天然キャラでいられるのも、いくぶんはこの人の影響なんだろうなあと妙に納得できた。 ま、素敵な人に好かれるのも才能なら、素敵な人をちゃんと好きになれるのも才能だよな、と思った一日。 |
お買い物
2006 / 10 / 21 ( Sat ) 私は、おばさんになった。
いや、待て待て。 年齢のことではない。 兄に、子どもが生まれたのである。女の子だとのこと。でかした!我が家の初孫! お祝いを買いに、子供服売り場へ行った。 めったに来ない売り場だけれど、わあぁぁぁ!赤ちゃんの服って、なんてかわいいんでしょう♪ 最初に気に入ったのは、おしりのところにでっかいうさぎのアップリケのついた赤いカバーオール。かわいい♪これを着せて抱っこしたら、うさぎちゃんがど〜んと見える。ほくほくと手にしていたら、お店の人がやってきて、「おそろいの前かけもあるんですよ」と、よだれかけを出してくれる。 かーわーいいー♪このよだれかけをつけたら、おしりと胸にうさぎちゃん。 「おそろいの靴下もあるんですよ」どれどれ? かーわーいいー♪しかもちっちゃーい。これをはいたら、おしりと胸と足首にうさぎちゃん。 待てよ?これから寒くなるし。あったかそうなお洋服もあったらいいのでは? 「こちらはいかがですか?」 おー!かーわーいいー♪ちっちゃいマント!しかもリバーシブル! それらのものを箱に詰めてもらう。いや、ほんと、赤ちゃんの服って、かわいいね。なんか幸せな気持ちになる。私は、小さいころ兄のお下がりばっかりで、いつまでたっても男の子に間違えられていた。女の子には、ちゃんと女の子らしいお洋服を着せるべきだよ、うん。 |
大人の顔
2006 / 10 / 20 ( Fri ) 渋谷で、高校時代の同窓会があった。と言っても、私がいたクラスじゃないんだけど、別のクラスの同窓会に誘われて飛び入りで。ほとんど話したことない人もいたし、多くは会うことさえ卒業以来だったので、十数年ぶり。行くまではなんだか緊張してそわそわしていたが、行ってみたら1・2年のときに同じクラスだった人もいたり、昔好きだった人もいたりで、みんな懐かしくて、とても楽しかった。
当たり前のことだが、みんな大人になっていた。多くは結婚していたが、私のように独身でモラトリアムを続けている人もいた。海外で働いている人、お医者さんになった人、お父さんになった人、お母さんになった人。そこにはそれぞれの年月があって、みんな興味深かった。 つくづく感じたことは、みんな顔が決まったなあということである。作り自体は変わったわけじゃないが、なんというか、確定した感じ。うまく表現できないけど、昔見たあの表情、あの人柄、私の知らない年月、そういうものが総合されて、こうなったのかー、という感じ。みんな何者かになったのだろう。私も、きっとそういうふうに見えたのだろう。私は、何になったように見えたのかな。 そして、ふだん芝居がらみの飲みが多いので、いわゆる一般世間の空気に触れたのも新鮮だった。私の場合、仕事関係の飲みもある意味特殊なので、普通に企業で働いている人と話す機会が少ない。でも、世の中そういう人たちの方が多数派だし、そういう会話の中での価値観とかものの見方は、ある意味王道なんだろうな。そう考えるとなおさら興味深かった。 ・・・思えば、遠くへ来たもんだ。昔はみんな、同じところで勉強していたのにね。 でも、おそらく今の私の何分の一かを成した、楽しかった高校時代。そのころを一緒に過ごした人たちと話すのは、無条件に楽しかった。みんな、これからも幸せであってほしいと思った。 |
身に付く言葉
2006 / 10 / 19 ( Thu ) 昨夜は、友人の作・演出家と飲むために、新宿西口交番前で待ち合わせ。交番の前で暇つぶしに掲示板を見ると、行方不明の人や指名手配の人を探すチラシがたくさん貼ってあって、しばし見入ってしまう。行方不明の人って、どこにいるんだろう。。。身元を隠したままではいろいろなことが制限されるだろうに、どこかで別人として暮らしていたりするんだろうか。写真まで出ているのに見つからない指名手配の人は、すでに人知れず命を落としているんじゃないのか。。。そんなことを考えながら見ていたら、かなり凝視していたらしく、現れた友人に「見過ぎだよ!!」と注意される。良くも悪くも、他人の人生に興味を持ちすぎる癖は、よく言えば物書き魂、悪く言えばただの物好きだ。
飲みは、芝居のことやら劇団のことやら、はたまた全然関係ないことやらを話すうち、またまた泥酔してしまった。でも、創作に対する姿勢とか、集団の運営についていろいろ話ができることで、私にとってはとても有意義な時間である。それにしても、昨日のお店のビールの値段には特筆すべきものがある。あんなに飲んだのに、会計があの金額とは、他の店ではちょっとありえない。 今日は、青山劇場で「奇跡の人」を観た。 ホリプロ主催・石原さとみ主演だから、まあ企画勝ちには違いないが、大きな劇場の芝居だから、一応観てみたかったし。石原さとみは、初舞台にしてはずいぶんがんばっていたなぁ。田畑智子は、今まで大竹しのぶが演じてきた役だけにプレッシャーはかなりのものだったんじゃないかと思うけど、若々しいアニー・サリバンが誕生した感じで、なかなか悪くなかった。あと、ヘレンの母を演じた小島聖が、とてもよかった。 そう言えば、言葉と概念が結びついたのは、いつのことだろうと思った。名詞はともかく、概念や感情を表す言葉は、いつの間に身に付くのだろうか。なにはともあれ、実感がないことには言葉も身に付かないだろう。そう考えると、悔しかったことも、腹立たしかったことも、哀しかったことも、恨めしかったことも、妬ましかったことも、体験にせめてもの理由がつく。 ヘレン・ケラーもまさにそうだったのだと思うが、言葉というものは憶えるというより身に付けるものなのだろう。ふとしたときに、自分が一度も使ったことのない言葉が浮かぶことがあるが、それも日々言葉のシャワーにさらされているうちに無意識に身に付けているのだと思う。だからこそ、ふだんから、いい言葉のシャワーをより多く浴びておくことが大切だと思う。 「言葉の光で、私たちは5000年も昔の世界さえ見ることができる。」これはいいセリフだった。もちろん、光は未来も照らす。その人を語る言葉がある限り、その人が失われることさえないだろう。現在を語り継ぐ言葉を、私たちはたくさん持たなくてはならない。 |
深い空を見上げて
2006 / 10 / 18 ( Wed ) 先日の日曜日、劇団深空地帯の公演「眠らない牛のキャラバン」を観た。以前よりつながりの深い劇団で、ここの役者さん・仁美ちゃんには第7回公演に客演してもらったこともある。独特な世界観を持つ魅力的な劇団なのだが、今回公演をもってしばらく活動休止となるそうだ。公演案内にもそのいきさつが書かれており、急なことで驚くとともに、ある感慨をもって公演を観に行った。
この作品は再演で、小屋は初演と同じアルシェ。私は初演も観たのだけれど、まったく違った印象になっていてびっくりした。役者や舞台美術が違っていたせいもあるけど、それ以上に作品として洗練されていたという感じ。深空地帯らしさが研ぎ澄まされていたというか。初演と演出が違っても、これだけ世界観をクリアに出せるのは、劇団が劇団として成長してきたからだと思う。有機的な年月の積み重ねと、何より作品に対するメンバーの愛情を感じた。 これだけの絆を築いてきた劇団が、活動休止に至るのは残念なことだけれども、一人ひとりの活躍を願うとともに、またいつの日か活動再開できる日を楽しみに待ちたい。 それにしても、組織というものは変わっていくものだなあとつくづく思う。 どれだけ大きくなっても、とどのつまりは個人の集合体。個人は変わり続ける。個人が変われば組織も変わる。個人が、そのときどきで自分の持ち場や影響力をどう認識するかによって、組織の空気や機能は簡単に変化してしまう。 でも、変化に対応できない組織はつぶれていくと思うし、変化しない組織は中から腐っていくと思う。変化に対応できる体力と勇気は常に必要。逆に言えば、発展的な変化ができる体力と勇気があるうちに、そのタイミングを逃さない判断力も大切だ。 仕事もそうだし、劇団もそうだし、組織とまではいえない個人的な人間関係にしても、同じだろう。それでもきっと、つながるべき人とはつながっていられる。死に体を見きわめる客観的な目は必要だ。変化に期待する手もあるけれど、ひとたび死に体に至った関係はたいがいループするだけだから。 なんか、話のオチがつかなくなってきたけど、人とは誠意を持って関係を結びたいし、有機的な関係を結べている人には感謝したいし、組織や関係のあり方には敏感であって、変化を恐れずにいたい、と。つまりそういうことを思った。 |
中学生バトン from とまっち
2006 / 10 / 17 ( Tue ) ふだん、バトンはmixiでやっているのですが、我らが音響とまっちブログからいただいたので、たまには気球日記にて。あらためて気球日記でバトンって、なんか恥ずかしい。。。ま、読み流してください。
☆中学校時代バトン☆ 1:中学生時代のあだ名を教えてください 本名の苗字派生のあだ名。 2:制服 ブレザー。転校する前も、後も。 3:恋をしていましたか? してた。 4:告白はしましたか? はい。 5:告白されたことはありますか? はい。 6:中学生時代に仲良しだった人とは今も友達ですか? う〜ん、1人ぐらい?それもけっこう疎遠だな。。。 7:部活はしていましたか? 転校するまで演劇部だった。はぁ、なつかしい。。。 8:当時はまっていたものと言えば? BOφWYと氷室京介。ほんっと大好きだった。 9:誰かと大喧嘩したことはありますか? 殴り合いはないけど、それなりに。 10:好きだった科目は? やっぱり国語。 あと、熱心な先生の影響で英語も。 11:嫌いだった科目は? 数学。私の天敵。 12:塾には通っていましたか? ちょっと通ってすぐ辞めた。塾には不適応だったらしい。 地味に進研ゼミとかやってた。 13:「あイター」な思い出は? 3年生の3学期、一番最後の期末テスト。 最終日に目覚めたら、もう午後だった。。。 14:当時流行っていたテレビ・アニメは? トレンディ・ドラマとか、やたらにやってたような。 15:「ちゅうがくせい」の文字で携帯変換のトップに来るのは? ち・・・ちょっと ゆ・・・ゆっくり う・・・うちの が・・・がんばって く・・・来るんだよね せ・・・先約が い・・・行ける 。。。意味不明。。。 16:実は不良でしたか? いいえ。 でも、不良の人とも仲良くしてました。 17:異性を異性として意識していましたか? そりゃもちろん。 ていうか、意識しすぎて勝手にテレまくっているようなタイプでした。 18:中学生の頃の将来の夢は? 作家。あと、今の職業。 19:一番クラスがまとまっていたのは何年生のとき? 3年生かなぁ。。。あまり記憶にない。 20:忘れがたい思い出は? う〜ん、あまりない。 中学時代は私の人生の中で最も屈折していたときなので、 ぱーっと楽しかったような思い出があんまりないですねぇ。 21:中学生に戻っていただく5人は? やってみたい方、どなたでも!ていうか、今これを読んでしまったそこのあなた!(笑) |
ささやかな至福
2006 / 10 / 14 ( Sat ) のんびりできる久しぶりの週末。うわ〜い☆
目覚めたら、荒れ果てた部屋が目に入ってうんざりしたので、もう一度フテ寝してみる。ま、当然のことながら、再び目覚めても部屋は荒れ果てたままだったので、何度目かにあきらめて起床し、せっせと部屋の片付けと洗濯にいそしむ。自分の洗い物と持ち帰った衣装を洗濯するのに、洗濯機フル稼働。洗濯しなくてもよい衣装は、確認してダンボールに詰める。各種白装束、ピンクの白衣、妊婦のお腹(!)・・・もう使うことはないかもしれないけど、ひとまず梱包して気球倉庫へ。数時間のうちに、ようやく人間らしい部屋になってきた。 それにしても、ここ2週間ばかりの生活ぶりといったら。シャンプーやボディソープの替えを補充する暇がなかったり、気がつけばずいぶんしばらくゴミ出ししてなかったり。洗い物に対応できないので、この1ヶ月ほど台所をまったく使わないようにしていたのは、まあ正解と言えば正解だったか。。。我ながら、大人の女性の暮らしぶりとは思えんよ。。。 でも、片付いてみるとやっぱり気持ちいい。劇場に連れて行っていたリサとガスパールも、ようやく荷物の中から掘り起こされて、定位置へ。劇団の荷物も整理して、やっと公演が終わってひと区切りついた感じがする。今回の公演で我が家に増えたのは、高さ1メートルあまりの観葉植物・・・部屋の狭さに不釣り合いな存在感なのだが、こういうのはまた使うかもしれないし、それなりに高価なので、大事に育てることにする。次の出番までに、私が枯らさなきゃいいが;; 夜は、知り合いの役者さんが出演している公演を観に、西川口まで出かけた。劇団キンダースペースのアトリエ公演。ふだんは稽古場としても使っているらしい決して広くはないスペースに、センスのいい舞台美術が組まれていて、独特の雰囲気がかもし出されている。作品は芥川龍之介の作品2編だったが、どちらもすてきだった。にぎやかな芝居もいいけど、こういうしっとりとした、しずかに作品と向き合った芝居もいいなぁと思った。 最近思うのは、芝居というのは役者のあざとさが見えたらおしまいだなあということ。本当にうまい役者は、役作りの跡さえ見せずに、役としてそこに存在する。一見うまいのに、なぜか心に残らない役者もいるが、それはうまいだけに役者の意図があからさまになりすぎ、素や裸の部分が見えないからだ。逆に言えば、技術的にはうまくなくても、妙に心に残る役者もいる。 今日の芝居を見ながら、そんなことを思った。今日の役者さんたちは、みんなごく自然に、世界の一端としてそこに存在していた。時代的にも現実とはかけ離れているのに、作品の世界に自分も身を置いているような気持ちになった。 客出しもなかったので、ふらりと家路に着く。 そう言えば、今日は誰とも話をしなかったなぁ。 せいぜい、クリーニング屋さんとコンビニの店員さんぐらいか。 でもたまにはこういうのもいいかも。身のまわりを片付けて、いい芝居を観て、ゆったり家に帰る。帰り道は、ちょっと冷たい風が心地よかった。ささやかだけど、心おだやかでニュートラルな一日。こうして、少しずつ現実に戻っていくのだ。 |
肉体派志願
2006 / 10 / 13 ( Fri ) 公演前後、睡眠不足と飲みすぎで美容と健康に最悪な日々を過ごしていたせいで、絶え間なく眠気と闘っていた今週が、ああやっと終わる。荒れ果てた部屋を片付けるというミッションを抱えてはいるが、明日・明後日は久しぶりにのんびりできる週末。うれしい。。。いやほんと、今週は疲労のせいか、はたまた手入れがずさんなせいか、ずっと顔色悪かったもの。ここらへんでちゃんと休養&お手入れして、元気なお肌を取り戻さなくちゃ♪
昨夜は、今回小道具を作っていただいた日高さんに誘われて、ザムザ阿佐ヶ谷に芝居を見に行った。ザムザでは、何度も芝居を観たし、役者としては使ったことがあるが、気球で使うのは次回公演がはじめて。下見を兼ねて、と思うと、自然と劇場を見る目が違ってくる。ザムザは良くも悪くも独特の雰囲気があって、それが芝居のイメージを大きく左右しそうだ。また、客席の後2列は、座ると舞台の上方半分が見えないため、客席としては使えなさそう。またまたキャパシティに悩む公演になることは必至な感じ;; でもいいの。ザムザで一度やりたかったんだもの。決める理由はシンプルなほど、あとあと後悔しなくてよい。 昨夜観たのは、ひげ太夫第21回公演「ヒマラヤ頭巾団」。いかつい名前とは裏腹に、座長も出し物師と称する出演者も全員女性。その女性たちが、女役以外は顔にひげを書き、ひっきりなしに組体操をくり広げるという肉体派な劇団だ。具体物の舞台セットは一切使わず、舞台セットもすべて肉体で表現する。座長の吉村やよひさんは、私より少し年上のおねえさまだが、至って身軽で、三段タワーのてっぺんで逆立ちをしてみせたりする。いやはや、すごい。物語というか、ショーを見ているような感じだったが、実にオリジナルな世界観でおもしろいなあと思った。 帰りがけに日高さんと飲んでいると、化粧を落としたひげ太夫のみなさんが来られた。すっぴんで見ると実は私より小柄だったり、美人さんだったりしてびっくり。飲みながらいろいろと芝居の話をして、実に興味深い時間だった。バイタリティある人たちって、話していて楽しい。 さてさて、結局公演前も、最中も、終わってからも飲んでばっかり。 効果てきめんで、丸顔がやや丸みを増してきたような。。。うう、おそろしい。気持ちを入れ替えて、体を動かすぞ!私も組体操のひとつぐらいできるように、肉体派になるのだ!どどーん! |
ゆりかご所感
2006 / 10 / 12 ( Thu ) 今回の公演を振り返ってみる。
少子化をいつか芝居のテーマにしようと思ったのは、今年初頭ぐらいだったと思う。そのときは、なんだか引っかかると言うか、漠然と気になる程度だったのだが、調べれば調べるほど興味深いテーマだった。どうして、現代人は子どもを産まなくなったのだろう?このままいくとどうやら大変なことになるらしいが、私も含めて当の子生み世代は危機感からは程遠く、至ってのほほんとしている。そして一方では、虐待や10代の妊娠中絶の問題も深刻化しており、せっかくできた命が無事に育つかどうかさえ危うくなっているではないか。なんなんだ、このボタンをかけ違えたような根本的な矛盾は。 ![]() 今回の舞台となった洋館、ざくろ荘。 ブラウンとボルドーを基調にした、素敵な舞台でした。 ざくろは女性ホルモンを活性化するはたらきがあるところから命名。 そんなことをつらつらと考えながら、私がたどり着いたのはセクシュアリティの問題だった。たどり着いたと言うより、再会したという方が正しいかもしれない。 私がセクシュアリティという言葉を初めて耳にしたのは、大学に入ったばかりのとき。今よりはずっとピュアだった(と思われる)18歳のころだった。ある講義の第1回目で、一風変わった高齢の教授が、黒板にいきなり卑猥な単語(ここには書けん)を列記し始めた。「これらの言葉の意味を書きなさい」 はぁぁぁぁ!!??いや、そりゃね、知らないわけじゃないけれど、あらためて意味を書くなんて、こっ恥ずかしい限りじゃありませんか。。。できれば「え〜、なにそれ?」とか言ってみたいじゃありませんか。。。もじもじする大学生を前に、「こういうことに、いちいち抵抗を覚えているようではいけない。学ぶからには、ちゃんと真面目に書きなさい。」その講義は、性科学の講義だった。 その教授は、たしかに一風変わっていたけれど、講義は毎回興味深かった。結局、私はその教授のもとで、性をテーマにした卒業論文を書いて卒業することになった。まあ、今思い返すと非常におそまつな論文だったけれど;; ともあれ、どんなに社会問題を装ったところで、少子化問題とはつまるところ、個人が性的存在としてどのように生き、どのような人間関係を結ぶかという、非常にプライベートな問題に端を発している。しかし、個性尊重と科学の進歩を背景に、セクシュアリティはモデルタイプを見失い、迷走を続けているのだ。 ![]() 左は、SEの声と才媛ポスターに協力してくれた中村葉月氏、 真ん中は男児・女児の声をやってくれた田所ちさ氏。 そして、私が徹夜で出産した男児・女児と、その操作をしてくれた澤田将之氏。 この4人、実は同じ干支です。何どしかはひみつ☆ 「今度、少子化で芝居やろうと思うんだよねぇ」と話した私に、「20代の結婚なんて、はっきり言って性欲だよ。」と言い切ったのは我が父である。まったく、身も蓋もない人である。でも、私はそれも一理あると思った。ところが現代では、別に結婚しなくてもすべての性的欲求は満たされてしまう。「昔は、好きだとなれば手鍋提げてでも一緒になったもんだ」とはまた身も蓋もない人の弁だが、たしかに、性欲であれなんであれ、そこまでしても一緒になりたいという話を久しく聞かない。どうとでも満たされるからこそ、性的欲求そのものが薄く拡散しているような気さえする。 このまま、人間の欲求は薄く拡散し、枯れ果ててゆくのだろうか。その中で生き残った人間だけが、強い遺伝子を残していくのだろうか。それはそれで本能的な種の選択なのかもしれない。もともと、何十年か先の社会保障のために人間は子どもを作るわけではない。 ![]() 焼けたイノシシ、愛称ラッキーちゃんは、日高秀夫氏の力作! いやぁ、本当に舞台で焼けたイノシシが出せるとは思いませんでした。 稽古のはじめに、セクシュアリティに関する究極の質問を出し合って、みんなで頭を悩ませながら、話し合ったのがなつかしい。おもしろかったな。近しいところにいる人間同士でも価値観が全然違うこともあるし、そもそもことあらためてセクシュアリティについて話し合う機会なんて、なかなかなかったから。 私には私のセクシュアリティがある。 子どものころからけっこうおませだったことは自覚しているが、祖父母も同居していたので、どちらかというと貞操観念の強い家で育った。その後、今に至るまでのさまざまな環境の変化や、たくさんの人との関わりの中で、現在のセクシュアリティを獲得してきた。 私を愛してくれた人たち、私を憎んでいたであろう人たち、私が愛してきた人たち、私が愛しきれなかった人たち、私と深い友情を結んでくれた人たち。そして、煩悩まみれだったり、正義だったり、遺恨だったり、そのときどきで揺れ動いてきた自分の感情。そういうものと、ひとたび向き合って、物語を創りたかった。そういう意味では、作り手としても勇気の要る作品だった。 ![]() 今回、ひとつの象徴として登場した白装束集団。無色ではなく、あえて白。 衣装は乃維ちゃんが中心になって作ってくれました。 今回の公演が終わって、私は思う。 人間が、生まれながらに身に付けているものなんて、そういくつもない。 だとしたら、最後まで人間として生まれた喜びを満喫して生きていきたい。 誰かを愛すること、なにかを創ること、触れるものすべてを感じること。 これからも、きっと私は煩悩まみれでしょうもないだろう。一生、白にはなれないだろう。 でも、できるだけ誠実に心おだやかに、大切な人たちのそばで笑っていたいと思うのだ。 ![]() ゆりかごスタッフ。もちろん、縁の下の力持ちは他にも。 稽古期間中には、演出として厳しい決断をしなければならないこともあった。かえすがえすも、最後まで一緒に作ってくれたみんなには、感謝の思いが尽きない。劇場で過ごす時間の幸福感、小屋入りしてからのビールのおいしさは、今までの公演の中でも群を抜いていた。 ともあれ、また一つの物語に幕が下りた。私も、居心地のよいゆりかごを降りて、歩き出そうと思う。一歩ずつ、初めて歩いたときのように。 |
「ゆりかごでお留守番」終了!
2006 / 10 / 10 ( Tue ) 10月7日(土)〜9日(月・祝)、うちの劇団にとって9回目の公演となる「ゆりかごでお留守番」の公演が無事に終了しました。6日(金)の仕込みの日はあいにくの土砂降りだったけれど、本番の3日間は実に気持ちのよい快晴に恵まれました。劇場に足を運んでくださったみなさま、本当にありがとうございました!
![]() 劇団◇気球計画 第9回公演 「ゆりかごでお留守番」 終了! ひとたび公演を打つとなれば、広げた風呂敷の大きさに合わせて、さまざまな課題を乗り越えなければならない。今回も、本番の日を迎えるまでに幾多のステップがあったけれど、この仲間たちと一緒にそのひとつひとつを踏みしめ、乗り越えてきた。最後まで作品の充実を目指して一緒に歩いてくれたキャスト・スタッフたちには、本当に感謝している。 公演が終わった連休明けの今日は、打ち上げで徹夜した鉛のような体を引きずって、ひとまず仕事へ。油断すると一気に襲ってくる眠気と戦いながら、一日の仕事を終えて家に帰った。地元の商店街がまだにぎわっているうちに家に帰るなんて、いつ以来なんだろうか。。。普通にお買い物をしている自分が新鮮。 今回の公演は、私にとって何となく特別で、本を書いているときから本番を観るのがとても楽しみだった。執筆期間も含めて約4ヶ月の期間を振り返ると、まだまだ語りつくせないほどの想いがある。しかし、今日はもう眠い。近いうちにまたじっくりと、公演を振り返ってみたいと思う。 |
ディレクターズ・ハイ
2006 / 10 / 06 ( Fri ) 明日の朝、正確には数時間後、小屋入りとなった。
今日は、稽古場での最後の稽古だった。今回はいろんな意味でスリリングな稽古期間だったので、今日に至ってもまだ明日小屋入りするという実感がわかない。でも、芝居はたしかに本番の手ごたえに成長しつつある。 小屋入りを前にしたこの時間は独特である。娘を嫁に出す気分である。うれしいような、緊張するような、さびしいような、晴れがましいような。いよいよ間近に迫った、舞台にこの芝居を乗せる瞬間が、楽しみでたまらない。早く本番の舞台の上で観てみたい。不思議な多幸感に満ちあふれるのもこのときである。 今回の公演を作るために集まってくれた30人からの仲間たちを思い浮かべる。無性に愛おしいような気持ちになる。よくこの仲間と、出会えたよなあ。よく最後まで、一緒に走ってこられたよなあ。今までやってきたことは、きっとうまくいくと信じている。いよいよ、お客様を迎えるときが来た。しかも、今回はチケットの売れ行きが好調で、たくさんのお客様に観てもらえそうだ。わざわざ神楽坂まで足を運んでいただく秋の3連休、感想はいろいろだろうけれども、きっと心に残る時間にしたい。 ああ、まさにディレクターズ・ハイ。早く小屋入りしたい。 観に来てくださるみなさま、どうぞお楽しみに。明日から準備万端ととのえて、関係者一同お待ちしています☆ |
離陸間近
2006 / 10 / 03 ( Tue ) ![]() 最後の週末は、土日両方ロング稽古。 日曜日の稽古場は、スタッフそろい踏みとなった。 左から、舞台監督の染谷さん、小道具操作の澤田くん、照明の郷道さん、音響のとまっち、台本だけ見切れているのが;;声の出演をしてくれたちぃちゃん。 スタッフの前で通しをするのは、ちょっとドキドキする。開始前の役者陣も、ちょっと緊張の面持ち。役に身を浸しているのか、エネルギーを蓄積しているのか。 ![]() いよいよ、稽古場で育ててきた芝居を、舞台へと離陸させるときが近づいている。 7月に本が上がってから、3ヶ月間、多くの人と関わりながら、作品を育ててきた。 キャスト・スタッフを合計すれば、今回の公演は30人からの人間の手によって成り立っている。これだけの人間が本気で手を携えれば、きっと伝えたい思いは届くはずだ。 本番まで、迷わずまっすぐ進もう。そして、舞台の上で答えを出そう。 おかげさまで、チケットが売り切れの回も出てきました。 7日(土)19:00、8日(日)14:00は、満席です。8日(日)19:00も残りわずか。 「見に行こうかな」と考えている方、ぜひお早めにご予約くださいね〜♪ |
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